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2草木塔とは 草木塔(そうもくとう)とは、「草木塔」、「草木供養塔」、「草木供養経」、「山川草木悉皆成仏」などという碑文が刻まれている塔です。素材は石で、部分的に研磨するなどの手を加えたものもありますが、ほとんどが採石された状態のままの自然石です。国内に160基以上の存在が確認されていますが、建立されている地域は本州の一部に限局しております。さらに草木塔の約9割は山形県内に分布し、4つの地方に分かれる山形県内でも、特に、置賜地方と呼ばれる地域に集中して存在する独特な石造物文化遺産です。 最も古い草木塔は、江戸時代中期の安永9年(1780)に山形県米沢市大字入田沢字塩地平に建立されたものです。現在のところ、江戸時代に建立された草木塔としては、34基が確認されておりますが、そのうち32基が山形県内に立てられています。山形県外の江戸期の草木塔は、安政6年(1859)の福島県耶麻郡熱塩加納村と文久3年(1863)の岩手県和賀郡沢内村の2例だけです。 昭和・平成の世になると、草木塔の建立数が急増し、建立地も置賜地方から村山地方、最上地方、新庄地方に広がると共に、山形県外からも草木塔建立の情報が伝わってくるようになりました。最近の草木塔は、「山川草木悉皆成仏」という精神は受け継いでいますが、素材やデザインに斬新なアイデアが取り入れられているものも見られます。草木塔建立の背景 道路が整備され自動車などが使用出来るようになるまで、山から切り出した用材は「木流し」という方法を利用して運んでいました。水の浮力と河川の流れを利用し、山奥の伐採地から中継基地、さらには里(米沢城下)まで、木材を水に浮かべて運ぶ方法です。山で切り出した用材は、冬期間に雪の斜面を滑らせて川辺の基地まで搬出しておきます。そして、春、雪解けで増水した流れを利用して下流の中継基地まで流し、積み上げておきます。水かさの増す10月末が木流しの本番で、中継基地から最終目的地まで、流れる木を追って走り、本流から外れた木があれば、水中に飛び込んで本流に戻してやる非常に危険で過酷な作業でした。 江戸時代、置賜地方に建立された草木塔の多くは、木流しの拠点に沿って分布していることが特徴の一つです。木流し衆が、作業の安全を祈願する対象として草木塔を建立したことが考えられます。しかし、木流しは、山形県の置賜地方でだけ行われていた樹木の運搬手段ではありません。昭和の初期頃まで全国で行われていた歴史があります。 現在発見されている一番古い草木塔は、安永9年(1780)7月19日に米沢藩の御林(おんばやし)があった田沢地区(米沢市大字入田沢字塩地平)に建立されたものです。建立の7年前、安永2年(1773)に、米沢藩の江戸屋敷が大火に見舞われ類焼しました。米沢藩では藩邸再建のため田沢地区の御林から大量の用材を切り出し、江戸まで搬送しました。地域の領民のみならず刀に代えて斧を手にした武士も作業に加わったと言われています。御林の杉材は、道標として残しておくべき巨木や、地形の保持に必要な木々まで切り出され、赤い地肌が曝される禿げ山になったと伝えられています。当時の米沢は九代藩主上杉治憲(鷹山《1751~1822》)の治政下でもありました。名君としての譽が高い鷹山が、御林の植林を進めると同時に草木塔の建立を示唆したのではないか、とも言い伝えられていますが、定かではありません。 僧侶や山伏が村人に建立を勧めたのではないか、という山形大学環境保全センター講師 土 橋 陸 夫ご覧いただく前に1.草木塔とは2.草木塔建立の背景3.最近の草木塔4.草木塔を世に紹介した人物と参考資料5.藤巻光司氏の略歴6.草木塔の分布図7.草木塔分布図から見えてきたもの8.草木塔の地域別、年代別建立数

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