出版物のご案内 :: 山形大学出版会
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8一 藤沢周平と俳誌『海坂』  作家へと続くゆるやかな道 藤沢周平は故郷庄内を時代小説の舞台にするとき、しばしば「海坂藩」という架空の名前を付けた。この「海坂」は静岡の俳誌『海坂』にちなんだものである。藤沢は二十代後半、結核で長い療養生活を余儀なくされた。東京の療養所で作句を始め、その時に『海坂』と出会った。その間の事情は『半生の記』(一九九七年、文春文庫)巻末の年譜、随筆「『海坂』、節のことなど」(初出『別冊文藝春秋』一九八二年春号、のち『藤沢周平句集』一九九九年文藝春秋刊に所収)に詳しい。 水原秋桜子の主催する『馬酔木』系に属し、静岡で発行されている『海坂』に藤沢が初めて接したのは昭和二十八(一九五三)年である。この年二月、藤沢は東京都東村山町(現東村山市)の篠田病院に入院した。入院早々に俳句同好会「野火止句会」が結成され、藤沢も参加した。それからしばらくして句会の主宰であった療養仲間の鈴木良典氏に『海坂』の同年二月号を見せられ、現代俳句に興味を持つようになった。それ以降『海坂』への投句を始め、また現代俳句を熱心に読むようになる。 藤沢は山形師範学校で学び、中学校で国語を教えていたので当然ながら芭蕉・蕪村・一茶など江戸時代の俳人の作品に接していたし、『おくのほそ道』も『野ざらし紀行』も読んでいた。だが、「俳句というものを、何となくじじむさく古くさい代物のように考えていた」(「『海坂』、節のことなど」)と告白している。その考えは『海坂』で現代俳人の句に接したことで変わり、さらに古典俳句を読み直す契機にもなったのである。 藤沢は自身の俳句の好みについて、現代・古典おしなべて「人事よりは自然のほうに心うたれる」(同前)と言っている。それは初めて見た『海坂』の「猟銃音部落あきらかに点在す」(岡本昌三)といった句に新鮮ation use only eva use only evaluationvaluation use only ion use only evalue only evaluation luation use only ev u

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