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231.パラグアイ移住の夜明けー苦しみを乗り越えてー 最初の入植からここにずっと残った家族は数軒じゃないでしょうか?ほどんとの方は出ていっちゃって。また、このラ・コルメナに最初に入られ、実際に働き手だった方はほとんど亡くなっています。主人も8人兄弟ですが、今残っているのは主人(2013年7月ご逝去)と下の妹だけ、他はみんな亡くなってしまいました。75年という年月は、そういうことなんですね。 75周年記念誌に載っていた写真を見ると、第二回の入植は15家族の115人となっています。当時は13歳以上の働き手が3人いないと移住家族として認められなかったんです。ですから、夫婦だけで入植するときも、だれかを養子にしてひと家族3人以上ということにしたんです。ブラジルでも同じ方式だったようですね。それで人数が多いんですよ。農業移民だから、一人前の働き手がないと許可しなかったんじゃないでしょうか。11家族で81人、15家族で115人だなんて、一家族に8人から10人ですよ。同じ船で来た80人のうち、いまコルメナに残っているのは4~5人でしょうか。 神戸を出港するときに日本とパラグアイの国旗を神戸市からいただきました。第一回移民の11家族の家長にだけ、一軒一軒、日の丸とパラグアイの国旗をくれたものです。亡くなった母が残していったものの中にあったんですが、それをついこの間、70周年の時に使いました。もう、茶色に変色して、古ぼけて、端が破けてしまっていましたが、大事に70周年までしまっていたんですね。私の小さいときから、お正月、天長節、パラグアイの御祝いなどに、父がパラグアイと日本の国旗を玄関に出して掲揚していたものです。 ところが、今回の75周年に使いたいっていうので、日パラグアイ第一回移住者に神戸市から寄贈された日本・パラグアイ両国国旗evaluation use only ese only evaluation usaluation use only eva only evaluation use oation use only evalua

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