ブックタイトル出会う。| 山形大学 大学案内 2018

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出会う。| 山形大学 大学案内 2018

映像文化との関わり深い山形で東北の写真文化を牽引した菊池新学5カ年間のプロジェクトで検証。スマホやデジカメでだれもが気軽・手軽に写真が撮れる時代。その写真技術が日本に伝わったのは明治時代に入る少し前。1839年にヨーロッパで誕生した写真技術は、それまでの絵画や彫刻といった視覚メディアに比べ、客観性や記録性において群を抜いていたため、衝撃をもって人々に迎えられていた。それから約30年後、明治維新を迎えた日本に写真技術は「近代化」の旗印のもと、他の多くの西洋文化とともに本格導入された。人文社会科学部附属映像文化研究所(以下、映像文化研究所)では、その写真文化が明治初期から昭和戦後期にかけて、東北地方においてはどのような発展過程をたどったのかをテーマに視覚資料の収集と整理、分析をおこなうプロジェクト「東北地方における写真文化の形成過程と視覚資料の調査研究」に取り組んでいる。映像文化研究所は、写真・映像を含む視覚文化を、さまざまな分野の専門性を生かして研究を深める目的で平成26年に創設された。山形県は長年にわたって「国際ドキュメンタリー映画祭」を開催している映像文化に馴染んだ街であり、東北初の営業写真師である菊池新学(1832-1915年)を輩出した地域であることも背景となっている。本学の教授陣を中心に美術館学芸員などで構成されているプロジェクトメンバーのまとめ役は、映像文化研究所山形映像文化研究部門の部門長であり、西洋美術史、表象文化論が専門の石澤靖典教授。明治初期の写真文化と、専門である西洋美術の関係性に迫るなど、映像以外のジャンルをも視野に入れたアプローチで研究に厚みを加えている。本プロジェクトでは、菊池新学以後の山形の状況を中心に、東北各県における写真文化の拡がりを検証する。具体的には、「東北における写真家の系譜をたどる」「絵画などの他の視覚メディア及び文字を通じた表象との関係を検証する」「写真において表出された都市イメージや地域表象の特質を分析する」ことを課題とし、これらの作業を通じ、地域イメージを新たな視点から捉え直し、写真という映像媒体が果たした文化史的意義を見極めることが目標である。また、本プロジェクトは、平成28年度科学研究費補助金・基盤研究に採択され、平成32年度までの5カ年にわたって研究が進められることになっている。初年度は明治期を主な研究対象として取り組んだが、平成29年度以降は、大正・昭和初期・戦後へと対象時期をずらしながら研究を進めていく。三島通庸が写真と洋画で残した明治期の近代化した都市イメージ。研究成果を公表、地域社会へと還元。前述の通り、山形は菊池新学を輩出し、その弟子たちの活動によって写真文化が急速に発展したという歴史がある。しかし、その実態についてはこれまで十分な研究がなされてこなかった。天童市出身の菊池新学は、明治元年に山形市内で写真館を開業し、山形県の初代県令・三島通庸から御用写真家に指名され、県内に新造された洋風建築物、橋梁、道路、トンネルなどの写真撮影を行った。それらは「山形県写真帖」として一冊にまとめられ、明治天皇に献呈されている。そうした「地方の近代化」の状況を、地域周辺や中央政府に対し、客観的にアピールするために写真を巧みに利用したのだ。これは写真が単なる記録にとどまらず、地方自治のイデオロギーをまとっていたことを端的に示している。一方、日本最初期の洋画家として知られている高橋由一もまた、三島通庸の命を受けて山形市街図や石版画集「三島県令道路改修記念画帖」などを手掛けているが、その際には新学の写真を参照していることが知られている。つまり、新学は日本の近代絵画の発展にも貢献したことになる。写真と洋画、ともに明治になって導入された新たな視覚文化が互いにどのように影響し合い、補完し合ったのかも興味深い。これまでの研究成果としては、平成27年に「没後100年記念菊池新学シンポジウム?東北初の写真家、菊池新学と山形の写真文化」を開催し、翌年には新学をはじめ、明治期の写真を通して見た山形の近代的な都市イメージを検証する共同研究を行った。これらに加え、東北各県の美術館学芸員と連携し、写真に関する情報や資料の提供を呼びかけ、地方で結成された写真家集団や人的ネットワークの調査を行うとともに、明治大正期の古写真と絵葉書の寄託を受け付け、データの整理と分析を進めている。今後は、シンポジウムや展覧会の開催等を通して学術的成果を公表し、地域への還元にも努めていく。また、この研究を継続的なものとするために、集めた資料のデータベース化と一般公開のためのシステム化を図り、最終的には、映像文化研究所を拠点とする研究者間の相互連携体制と、情報ネットワークの構築に取り組む。「今後は、写真の収集やデータ化、シンポジウムでの研究発表など、学生にもこのプロジェクトに関わってもらいたい」と石澤教授。写真・映像といった視覚文化に関心のある学生はもちろん、都市づくりや文学、音楽等に興味のある学生にとっても「表象=イメージ」することは、意外なところでさまざまなことと結びついて役に立つ。まずは、この研究に携わることで学生が自分の出身地の都市イメージに興味をもつきっかけになってくれれば幸いである。人文社会科学部P.78初代県令三島がすすめ、新学、由一が表象した山形における「近代化」。石澤靖典教授|西洋美術史、表象文化論菊池新学「明治14年撮影の山形市街」と、高橋由一「山形市街図」。上/明治14年に初代県令三島通庸命を受けて菊池新学が撮影した山形市街地の写真。中央奥が当時の県庁舎。山形の近代化を象徴する一枚。下/菊池新学の写真をもとに高橋由一が描いた山形市街地の絵画。当時の写真技術では動いている人を写すことができなかったため、油絵ではたくさんの人を描いて臨場感を持たせている。その人々が皆、県庁に向かって歩いているという点で、政治的意図が見てとれる。8