旅行は学問のうち
「旅行は学問のうち」などと書くと、批判をいただくかもしれない。
しかし、この文言は昭和3年に柳田国男によってまとめられた、『青年と学問』の章題になっている文言である。
柳田は、郷土研究を考える一環で青年教育をどのように実施するのかを考え、1冊にまとめた。その中で、旅行を学問の中心にとらえ、旅行が、
いかなる効果をもたらしてきたのかを述べる。「旅行の価値基準、旅行の第一義は如何。この問題は私にはさして答えにくくはない。一言にしていえば本を読むのと同じである。」
(柳田『青年と学問』1928)本にも善し悪しがあり良書を求めるがごとく旅にもいい旅も愚かな旅もあるというのである。
昨年は、イギリスの探検家、イザベラ・バードが来県して140年目ということもあり、各地で様々な催しが開催された。バードは置賜の地をアルカディア(理想郷)と述べ、
その記述をもとに、観光資源として活用されていたりもする。
米沢では、(公財)農村文化研究所が、バードを取り上げ、旅とは何かを話し合う機会も大々的にあった。
バードはその旅を記録したことにより、
日本人が伝えなかった、もしくは、選択として切り捨てた歴史事象を描き出すきっかけを与えてくれたのである。
イギリス人の観点で、客観的に村落を見つめ、主観的な感想、比較考察をすることによりその地域性を描き出す工夫も著作で見ることが出来る。
この日本旅行はバードにとっても、私たち山形県民にとってもいい旅に含まれるのだろう。
さて、話は逸れたが、柳田が生きた時代、昭和初期の旅とはいかがなものであっただろうか。資料をみると、現代とさして変わらず、温泉観光、物見遊山が多く、レジャーに近い感覚であったのかもしれない。
柳田は「旅行は学問のうち」は近世の旅を想定していると考えられるが、
教育方法として現代にあてはめるとフィールドワークがこの柳田の考えに近いのだと思う。
知らない場所へ学びに行くことは、フィールドにおける膨大な情報の吸収と消化(考察)が求められ、
その情報を適切な形で利用する技術が必要とされる。
フィールド系授業は効果が実証されない科学的根拠のない方法論だとも言われるらしいが、歴史学においては、情報を取捨選択し記録し保存する。
といった、一連の方法論が身についていなければその記録も淘汰されることを、歴史資料が証明している。
世界でも有数の紙資料が残る日本においても残存する旅行の記録は多くはない。それだけ、フィールドワーク(旅行)において多くの情報から取捨選択すること、習得した記録技術利用して保存することは難しいのである。
ただし、それを修めてしまえば、芭蕉や、古川古松軒ように歴史資料になってゆく可能性が充分にあると考える。
という私もまだ修行旅行中。道祖神の招きあいて、どこまでゆけば修められるものやら。
参考引用 柳田国男 『青年と学問』 (1976) 岩波文庫