師範からの教え
「難しい、と言うたらあかん」とは、30年程前だっただろうか、亡き師範からかけられた言葉である。
なかなかうまくできずにいる後輩に「確かにこの技は難しいよね。だけど、力の使い方が分かればできるようになるから」と教えていたところ、
思いの外きつい口調で言われたので印象に残った。その技は、自分自身も習得するのに時間がかかったし、教えていても多くの人が閊(つか)えて苦労してきていた。
だから、それなりに難度の高い技だと思っていたので、どうして「難しい」と言ってはならないのか気になった。
師範はどのように教えているのかと言えば、ほとんど言葉による解説をせずに、技をかけては「わかったか」の一言なのだ。
武術の稽古でも不立文字と言うように、言葉に尽くせぬ技の妙というものはある。だからといって、身体技法は文字通り身をもって体得するしかない、
つべこべ言わずに修行をしろというわけでもない。そうではなく、教える側は、身をもって体得できるように、技の原理を感じられるように、
わかるように技をかけなければならない、ということのようだ。
そもそも師範は、「難しい」といって悩んでいる後輩に声をかけたのではなく、教えている私に注意をしていたのだった。
というのも教えている者が「難しい」と言ってしまったら、教わっている方に「これは難しい技なんだ」、「だったらできなくても仕方ないんだ」と思わせてしまう。
こうした負の連想を教える側は意図していないものの、「難しい」の一言が、できるようにならないことの言い訳になってしまう、できないことの理由になると考えた。
そう気づいてからというもの、「難しい」は禁句の一つとしている。躓いている者には、間違っているところ、
できずにいる原因を見つけ出せるよう、失敗例と成功例の両方を示すようにしている。「むつかしさ」を感じながら修行してきたのだからこそ、どうしたらできるのか、
その道筋を感じられる指導方法を考えるようになった。
「でけへんから難しいと言うんや」とは、前述の時に諭すようにしながら師範が私を投げた時の言葉である。