「今時の学生は、自主性がない」「今時の学生は、覇気がない」「今時の学生は、礼をわきまえていない」・・・、教員達が雑談を始めると、よくそんな話に花が咲きます。私自身も、自分と価値観の違う学生を目の当たりにしては、よく嘆いていたものでした。
先日、他大学で教員をしている大学院時代の同期と、学会会場でそのような話題で盛り上がりました。「今の院生さんは、隣の同級生が論文を書いていても気にせずに、マイペースで自分中心ですよね。私たちの頃は、周りを見ては焦ったものですけどね。」そんな会話を交わしていると、私たちより10才ほど先輩の先生がニヤニヤしながら、「それ、僕が君たちに感じていたことと全く同じだよ。」と。確かに、よくよく思い返して見ると、学生だった頃の私たちの自由奔放さに先輩方があきれていた様子がよみがえってきます。なんのことはない、自分たちも「今時の学生は」と言われ、そして時代は繰り返しているわけです。
そんな中、山本五十六の名言集なるものを見る機会がありました。こんな言葉です。「『今の若い者は』などと、口はばたきことを申すまじ。〜中略〜なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。〜中略〜だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。」はい、その通りです。今から100年以上前の大日本帝国時代に、このような言葉が残されていたことに感じ入ります。今の学生さんは、例えばIT関係の処理能力や映像感覚など、私たちの世代にはない能力を持っていますね。「今時の学生は」などと文句を言うのではなく、彼等の「可能性」を引き出すのが教育者の使命だと改めて感じた次第です。
また、山本五十六にはこんな名言もありました。「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ。話し合い、耳を傾け承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」以前にもこの言葉を目にすることはあったのですが、FD委員になって2年目の今、今度はストンと自分の心に落ちてきました。なるほど、これはFDでいうところの「アクティブラーニング」ではないか、と思ったわけです。これまで自分なりに授業改善に努めてきましたが、わかりやすい授業にすればするほど学生から考える力を奪っているような気もしていました。そんな中この言葉に触れて、人を育てるということの意味を改めて意識するようになりました。わかりやすい授業というだけでなく、学生の能力を引き出す授業へと、まだまだ授業改善する余地はありそうです。
FD活動において教員の意識改革は重要な課題ですが、今回は私自身のささやかな意識改革のお話でした。
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