私は普段、約40人の学生に対し授業をしている。私の言葉を学生がどれくらい理解したか、私の表現した言葉から自分の内面や思いをどれくらい理解したか。言葉の量や質、発するタイミングに気を配り、学生の反応を知る機会を多くしながら話をする。「うん、うん」と頷く学生。「ん?」と首を傾げる学生。眉をしかめて動かない学生。その反応をみて、この学生はわかっているな、この学生はわかっていないな、そんな判断をする。ノンバーバルコミュニケーションである。
1回の話で内容を理解できる学生は全体の1/3程度と言われている。一度で全員が理解することは難しい。私は学生の反応を見ながら言葉を変えて再び同じ内容の説明をする。頷く学生が増えたかな?まだわからないかな?そんなことを思いながら2度3度言い方を変えて説明する。あれ?無反応だ。わかったのか?わかっていないのか?まったく読み取れない。
コミュニケーションにはノンバーバルコミュニケーションとバーバルコミュニケーションとがある。メラビアンの法則によると話し手の印象の55%が視覚情報、つまりノンバーバルコミュニケーションで決まると言われている。たしかに、「顔に書いてある」という表現や「目は口ほどに物を言う」ということわざがあるように言葉で表現しなくても伝わるものはある。
しかし、上手く反応できない学生もいる。反応を誤る学生もいる。ノンバーバルコミュニケーションだけでは心底を見ることが難しい。あるいは思いを誤って解釈してしまう。思っていることを適切に伝えるにはやはり言葉が重要である。
先日私はこんな体験をした。体調不良と人間ドックのため立て続けに病院に行き、久々に患者となったのだ。何度も繰り返される検査。検査中の技師の眉のしかめ具合。とても不安な気持ちになった。「大丈夫、問題ありません」医師からのその言葉を聞くまでは。医師の表情を読み取ろうと必死になり、医師の言葉に一喜一憂する。医師の笑顔と「大丈夫、治ります」という言葉、それだけで嬉しく、何とかなると安心し、希望を持つことが出来る。言葉の重みを実感し、言葉のありがたさを痛感した。
言葉は重要。でも、人に伝えることは難しい。内容は勿論、語句、文法によってまったく別のものにもなってしまう。
伝えることの難しさを感じながらこのエッセイを書いている。