学びについて改めて考えるとき、まず頭に浮かんでくるのは、若き日の大学院ゼミで恩師が、1876年(明治9年)に書かれた福沢諭吉の『学問のすすめ』を基に、「学問は知識を単に学ぶことではなく、新しい知識を作り出していくことである」ということを熱心に教えてくれたことです。
学問は未知なるものへの問いかけであり、その思考の過程であると考えます。その過程において答えが存在するかどうかも分からないのです。問いに対して、唯一の解が存在するか、多数存在するか、あるいは全く存在しないかもしれません。学びの過程においては、自らの課題を設定し、問い続けることが肝要であると考えます。人生の岐路や困難な状況に遭遇した時、このような知的訓練を積んだ思考力が解決策をもたらしてくれるものと思っています。
学んだことを、疑問を持つことなく、ただ受け入れるだけならば、表面だけの理解にとどまってしまいます。ものごとを掘り下げるには、教えられたことに対して、疑問や疑いを持つことが重要です。「なぜなの?」や「どうして?」という疑問は、学びにとって不可欠です。その疑問がさらなる学びや、深い思索、実践を生み出します。そして、その実践の結果から、さらに疑問を持ち、益々理解が深まっていくのではないかと考えます。学問の本質は、既成の知識を「学んで問う」ことよりも、むしろ「問うことを学ぶ」ことにあると心得ます。その際、教師とだけではなく「友と語り合う」ことが、知的訓練に誘い、専門性とともに、社会で重要な「人間性」や「社会性」を培うことになると思います。
未知なるものへの問いと挑戦の過程を学問と考えるならば、「語り合う友」の存在する大学はまさに「問うことを学ぶ」のに最適の場であり、このような「知的興奮に溢れた学び」の中でこそ、今日の時代が求める個人の「創造性や創意工夫」が醸成されると考えます。