教員が何をすれば,何がどのように良くなるのか。よく解らないことの糸口を見つけるためには,根本から問い直すという作業が,実際には最も効率が良い。「上」から,あるいは「横」からいわれることに盲従することが,後から振り返れば,残された貴重な時間と労力を浪費する「最善の」方法であったことは,まともな人間であればしばしば気づくことである。
大学の教員は頑固なので,外部から「改善」を求められても,求めた側が期待したような状況が実際に達成される見込みはそもそも薄い。また,専門以外のことはよく知らず,人によって専門は異なるため,学部等の組織を単位として現状を改革とすることなど,まさに雲を掴むような話である。
筆者の学内FD担当としての企画立案・執行は,上のような認識に基づいて始まった。学者は,自分が興味をもったことに対してしか,重い腰を上げようとはしない生き物である。そして,他人が現在何に興味関心をもっているかは,突き詰めて考えれば,分からない。ならば,自分自身が興味を持っている,あるいは持てそうな企画をやるしかない。選択肢は,結局はそれしかないのである。
自身の専攻を基礎に据えつつ,昨年は大学における「基本的人権の尊重」をテーマとして,LGBT/SOGIに関連する講演会を実施した。筆者自身は面白かったと感じたし,学生対応の方針等について,少なくとも主観的には改善に資するところが大いにあったと思っている。いうまでもなく,他の教員がどうであったかは分からない。集客も,だいたい御想像の通りだといって差し支えない。
次回は,学際研究の課題について考えたいと思っている。「新領域」云々がもて囃されている時代であるが,これは言うほど生易しいものではない。筆者の所属も一種の学際学部であるが,創設以来,そこでの教育研究のあるべきパラダイムの発見については,真摯な検討と諦めとが交互に繰り返されてきた。もちろん,そんなものに終着点はない。しかし,そろそろ熱を込めて考え直したい。大切なのは,このような極めて主観的な作業のプロセスが,たとえ断続的にであっても継続して行くことであろう。