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週刊・授業改善エッセイ
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あっとおどろく大学事務NG集
 
 

 日本女子大学  大枝 一男
 (理学部数物科学科教授)

「自ら学ぶ習慣を身に付ける―教育の質保証」

 授業改善エッセイとして何を書けばよいのか自問自答した末、徒然草ではないが、大学教育やFDについて"心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつく"ることにしたい。自分流の思い入れが出過ぎるかもしれないことをお許しいただきたい。
 最近拝聴した講演会からであるが、1998年の大学審議会「21世紀の大学像」答申を受けての1999年の大学設置基準「FD努力義務化」が言わばFD第1ステージで、2008年の大学設置基準「FD義務化」と同年12月の中教審「学士課程」答申に謳われている「学習成果」と「教育の質保証」がFD第2ステージとのことである。FD第1ステージでは"授業評価がFDだ"との声が支配的であった。そして学生を教育の消費者と位置づけることが強調された。しかし、FD第2ステージに入った2008年からは学習成果・教育の質保証が重要であるとの認識となった。この観点から学生は教育の"製品"(これは語弊のある言葉であるが)、これを言い換えれば教育により産み出される存在、あるいは生まれ変わる存在と捉えられる。しかも、学生は大学教育で得たことをとおして卒業後も成長を続ける人間そのものであるとの教育論的認識が復活してきた。心理学的見地からは学習活動は「知識(認知)、態度(情動)、技能(適応)」に大別されるとのことである。ここで、学習成果・教育の質保証を短期的なそれと長期的なそれに分けてみる。 短期的学習成果・教育の質保証は言わば卒業時の学力到達度の保証であり知識の量であろう。これに対して長期的学習成果・教育の質保証は卒業後の継続的学習習慣が身に付いている保証であり態度(情動)の質であろう。これはまさしく自ら成長を続けることが出来る人間教育である。  学習習慣が身に付き自ら成長する人間となるためには、学生はどのような教育を受けるのがよいであろうか。教育は教え育てると書く。私は教育は何でも教えてしまえばよいというものではないと考える。手取り足取り何でも教えてしまうのは一見親切な教育のようにみえるかもしれないが、しかしすべて教えてしまうと人が自立に向かう貴重な経験の機会を失わせることになり、自立した人間が育たなくなる。何でもすぐに教えられ結果だけを鵜呑みにしたのでは単なる断片的な知識に過ぎずそこからは自らの成長につながる知恵は生まれない。長い目でみて学生を育てようとしたら教員は何でも教えることについてある処で踏みとどまる必要がある。知識よりも「自学自動」の習慣が大事である。
 つぎの西行の和歌を私は勝手に学問への情熱的態度(情動)と受け止めている。
   "吉野山梢の花を見し日より心は身にも添わずなりにき"
   "あくがるる心はさても山桜ちりなむ後や身にかへるべき"
   しかし、私は未だ論語巻第五のつぎの一節の状態に留まっている。
   "唐棣(とうてい)の華、偏として其れ反せり。豈に爾を思わざらんや、室是れ遠ければなり。
  子の曰く、未だこれを思わざるなり。夫れ(それ)何の遠きことかこれ有らん。"

   
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