山大マーク 学長室だより
 告 辞(平成17年度入学式)

 ようやく山形にも春がめぐってきましたが、今日この日に山形大学に入学した2,547名の学生諸君、入学おめでとう。山形大学を代表して心から諸君の入学を歓迎いたします。また、御参列の保護者の皆様のお喜びやいかばかりかと拝察申し上げます。

 さて、今日、入学生の諸君に私は二つのことをお話ししたいと思います。一つ目は、大学に入学してどんな心構えで生活していったら良いか、人生の先輩の一人として私の日頃考えていることをお話したいと思います。二つ目は、山形大学はどのような方向に向かって歩いていこうとしているか、山形大学の目標について説明いたします。

 さて、第一の話に入っていきますが、諸君はどんな目的を持って山形大学に入学しましたか?地域教育文化学部地域教育学科に入学した諸君は教員になるために、医学部医学科に入学した諸君は医師になるため、大学に入学したと思います。このように大学で学ぶことが直接将来の職業に結びついている場合は、入学の目的がはっきりしていて悩むことも少ないと思いますが、明確な将来展望を持たないままに、山形大学に入学してきた諸君も多いのではないかと思います。高校を卒業する時点で将来の自分の方向性をそんなに正確に決定することは無理な話ですから、現時点で大学に入学した本当の目的や将来の就職などについて明解な答えを出せなくても、大丈夫だと思います。4年間で教員や職員、先輩などの話を聞きながらゆっくりと自分の方向を決めていけば良いと思います。山形大学ではYUサポーティングシステムという学生相談のシステムをつくって諸君の色々な相談に応じています。詳しい内容は11日のオリエンテーションのときに渡す書類に入っていますのでよく読んでおいてください。このようなシステムも利用しながら、着実に歩いていってほしいと思います。また将来の就職については、その重要性を考えて、山形大学では今年度から事務部門の中に新たに就職課を設置して、諸君の就職の世話により一層の力を入れようと思っています。そして、最も大切なことは、将来、卒業した後で役に立つ勉強を4年間あるいは6年間でどのようにして、完全なものにしていくかです。そのためには真剣に学ぶ諸君の努力が最も大切だと思います。大学入学の嬉しさにうかれて時を過ごしてしまうと、まさに光陰矢のごとく時間が過ぎてしまい、大学生活の実体感がないままに卒業の時を迎えることになりかねませんから、自覚を持って大学生生活を送っていっていただきたいと思います。

 さて、これから少し話してみたいこととは、今話したこととは視点が全く違う「役に立たない」ことについてです。「突然変なことを言い出したな」と思うかもしれませんが、少し話の続きを聞いてください。

 大学の大切な使命の一つは教育です。諸君が将来企業における職業人として、あるいは大学の研究者として、活躍していくための力をつけるために役に立つ学問を諸君に与えることが、私達大学の教職員に課せられた大切な役割です。

 しかし、卒業後の充実した職業人としての生活に向かって一歩一歩歩いていくことだけで、諸君の大学生生活は完全なものと言えるでしょうか。私にはどうもそう思えないのです。他にも大事なこともあるのではないか、そのような想いについて少し語ってみたいと思います。

 諸君は「時間というものはいつ始まって最終的にはどうなるんだろう」とか「宇宙の果てはどうなっているんだろう」といったように時間の永遠性とか宇宙の無限性などについて考えてみたことがありませんか。このように私達の住んでいる世界には、直接私達が日常生活をしていく上では問題にならないけれど、まだその解答が得られていない、多くの問題が潜んでいると思います。たしかに、そんなことなど考えなくても私達の現実の生活には何の支障がありません。しかし、例えば、私という人間は大自然の流れの中で生じ得る数限りない偶然の中の唯一の特定された時間と場所に今こうして生きているということ、それは諸君等一人一人についても同じであること、また私も諸君も死を免がれることが許されないことなどを考えますと、大宇宙の中のまさに点にも及ばない小さな存在として私達があるのだということが浮かび上がってきます。画家のポール・ゴーギャンはその絵に「私たちはどこから来たのか。私たちは何者か。そして私たちはどこへ行くのか」というタイトルをつけていますが、この叫びこそ私達人間が共有している根本的な問題なのだと思います。このような重い荷を背負いながら私達人間は歩いていかなければならないということを、大学入学という人生の大きな分岐点に立っているいま、少し思い描いて欲しいと思います。

 さて、大学の教育は、教養教育と専門教育から成り立っています。専門教育は、将来卒業後に立派な職業人として活躍するために、諸君の選択した学部学科で専門的な学問を学びます。一方教養教育は、語学などの専門教育の基礎となる教科と人間として幅広い教養を身につけるための教科に分かれています。どちらの教科も諸君にとって大切なものですが、今日は話の主旨から、人間として幅広い教養を身につけるための教科の重要性を強調したいと思います。このような教育を私は「人間教育」と名付けておりますが、それは将来諸君が職業人として働いていく上で直接仕事の役に立つものではありません。しかし、見方を変えますと、この「役に立たない」ということが、実は大切なことなのです。

 聖書に「人はパンのみによって生きるにあらず」という言葉がありますが、パンつまり人間の生命の維持に必要なもの以外に、生命の維持には役に立たないけれども大切なものがあることを教えているのだと思います。私がなぜ執拗にこのようなことを申し上げるかと言いますと、今話した「役に立たないこと」を頭の中に描いて、自分のことをより掘り下げて考えていくためには、教養教育を受けるいまの時期がまたとない良いチャンスだからです。各学部で専門教育を受ける時期は、非常に忙しく、物事をじっくり考える時間を見つけるのは大変だと思います。教養教育を受ける今年一年は、語学や専門基礎科目など一定の制約はあるものの、受講科目の選択にもかなりの裁量があり、自由時間もあると思います。こんなときこそ「役に立たないこと」などについてぼんやりと考える時間を持ってほしいと思います。そのような時間を持つかどうかは、将来の諸君の生き方に大きな影響を与えるだろうと思います。なお、今話したことは、オリエンテーションのときに配布される学園便りに私が書いておりますので、読んでみてください。

 さて、二番目の話は山形大学の目標についてであります。諸君も知っているかもしれませんが、昨年4月から国立大学の機構は大きく変わりました。国立大学は国の組織であることを止め、国立大学法人という一つの法人組織になりました。各国立大学はそれぞれ目標を決めて、それに向かって進んでいくということになりました。

 山形大学では、その目標を短くまとめて、三つの理念として、学内外に示しております。それは、「自然と人間の共生」、「充実した人間教育」そして「社会との連携重視」です。今日は時間の制約もあり、これらの三つについて、詳しく説明することはできませんので、本学の最も大切な理念である「自然と人間の共生」のことについて話をします。

 私達の生活は科学の発達によって大変便利になり、一般の人の宇宙旅行なども夢ではない時代になってきました。しかし一方では、我々人間の活動が地球の環境問題も引き起こしています。また、イラク戦争、イスラエル・パレスチナ紛争など、血で血を洗う人間同士の殺し合いが続き、憎しみの連鎖は止みそうにもありません。

 このような状況において、私達は大自然の中に生かされている存在としての自分自身というものを感じ、自然との調和の中に人間社会を築いていかなければならないという考え方のもとに「自然と人間の共生」を大学の理念として掲げました。

 諸君がこれから過ごすこの山形の地は、出羽三山に囲まれた緑深き自然に恵まれた所ですが、それだけではなくそこに住む人達は自然を敬い、自然を愛する人達です。草と木の塔と書いて草木塔と呼びますが、これは山から木を切り出すときなどに、その木の命をいとおしんで、建立されたものだと言われております。全国に100位の草木塔がありますが、そのほとんどが山形にあります。このように草や木の命をもいとおしむという心優しい山形の人々から学ぶという心が、本学の理念である「自然と人間の共生」につながっていくものだと思います。山形大学ではこの「自然と人間の共生」の理念を具体化するために色々な試みを始めておりますが、今日入学式が終わった後に開催される講演会もその趣旨に添ったものです。講演会のときに講師の星 寛治さんのことは詳しく紹介いたしますが、星さんを中心とした38人の若者達がはじめた有機農業の小さな流れが、30年以上たって大河となっていく様を以前に星さんから伺ったとき、私は大変感激し、是非入学生諸君にも聞いてほしいものだと思ったのが、今日の講演会のきっかけであります。どうか耳をすまして、「農業を介した自然と人間の共生」の話を聞いてほしいと思います。そして、山形大学に入学したことの感慨を味わってください。

 以上、人生の先輩の一人として、また山形大学の学長として、今この入学のときに、諸君の胸に抱いてほしいことを申しました。どうか、今日の私の話も参考にしていただいて、来週からの山大生としての生活をエンジョイしてください。諸君が、将来世界へ向って羽ばたくための第一歩の歩みをはつらつと始めるよう期待して、歓迎のあいさつといたします。