> トップ >> 博物館展示品 >>> 有明行灯

   
 江戸時代に使用されていた照明器具の一つが、行灯である。もともと行灯は携帯用であったが、提灯が普及すると、室内で使用されるようになった。
 四角型の木枠内に紙製の火袋がはってあり、木枠の外側上部と内部底に、火皿を置く台がある。明るい光を得たい場合には、火皿を外側上部に置く。明るさをおとして常夜灯として使用したい場合には、火皿を内部に置いて、横窓から光が漏れるようにする。
 
 満月や三日月をかたどった横窓をもち、常夜灯として用いられたものを、特に「有明行灯」と呼んだ。有明とは、明け方のこと、あるいは夜が明けた頃にまだ天に残る月のことをいう。月のように朝まで夜の闇を照らす有明行灯は、機能・デザイン・名称共に月を連想させる、風情あふれる照明である。



 > トップ >> 博物館展示品 >>> 引札

   
 引札とは、商店が開店の挨拶や大安売りの時に宣伝のために配ったもので、現在のチラシ(広告)にあたります。引札の登場は17世紀後半(天文年間)まで遡るといわれていますが、文化・文政の頃から広告メディアとしての位置を確立しました。
 この引札は木版単色刷ですが、明治期に入ると多色刷りの美しい引札が登場し、めでたい図柄や物語性のあるものなど多彩になってきます。
 現在、私たちが毎日の新聞の折り込みチラシで「本日のお買い得品」をチェックするように、江戸時代の人々も配られた引札をながめては、買い物に行く店を決めたりしていたのでしょうか。
 また、「印刷物」が貴重であった当時において、引札は、壁や障子に貼ったりして使い回すというインテリアの一面も持っていました。

 引札中央に描かれた木、よく見ると、枝は文字で、葉は小判でできています。実はこれ、いわゆる「金の成る木」で、枝にはお金持ちになるための11ヶ条が書かれているのです。
 木の下では、恵比須様が大福帳をめくり、大黒様が算盤をはじいており、船首に立派な龍の飾りをつけた宝船があります。画面右上には、「少しのお金でも明日は倍に、また次の日にも倍に増やしていけばやがて大きな財を成す」という意味の縁起ものの暦が書かれています。なんとまあ、考えつくすべての縁起ものを集めたかのような引札です。当時の人々は、御利益にあやかりたいと、このような絵柄を喜んだのでしょう。画面左上には、今でいう雑貨屋であった市村屋の宣伝が書かれています。



 > トップ >> 博物館展示品 >>> 平清水焼

   
 平清水焼は文政年間に開始された窯場で、山形大学学生寮(清明寮)のある千歳山(ちとせやま)の南庵に位置しています。最盛期の明治20〜30年代前半にかけては、日用雑器が大量に取引きされていました。しかし奥羽線鉄道が開通した事に伴い、尾張や美濃方面の陶磁器が安く手に入るようになり、さらに近代工業化が遅れた事で売行きが落ち込みます。そのため明治末期から大正時代になると、鉄分の多い原石が大量に埋蔵されている事をいかす研究がなされました。そして輸送用インク瓶や衛生陶器などで需要を伸ばし、平清水焼は活況を取り戻します。また大正初年には阿古耶姫人形が焼成され、好評を博しています。
 右の小皿は明治7年に京都で磁器絵付の伝習を受けた絵付の名手、高橋政治(青山)によるものです。この頃良質の配合土が発見されたこともあり、京風磁器として質の良い製品が焼成されるようになりました。巧みに濃淡のつけられた牡丹の花が一輪中央に描かれています。裏にはつぼみが皿の丸みに沿うように一輪、反対側には少しだけ顔をのぞかせた葉が見え、上品な絵柄となっています。
左の大徳利には蝶が舞い、燕が飛び行く、春ののどかな様子が描かれています。一見菊のようなこの花は何の花でしょうか。傍らには小川のせせらぎが見え、暖かな日差しと風が感じられる「春風駘蕩図」
(しゅんぷうたいとうず)となっています。




 > トップ >> 博物館展示品 >>> 藁沓

     
 雪の季節となり、キャンパスを歩く人々の足元もブーツ、長靴といった冬装束。今回紹介する資料は積雪期に雪国で使用されていた履物です。どちらも足の甲の部分が覆われていますが、基本形は両方ともワラジです。右の藁沓はワラジに爪先を覆う爪掛をつけたツマガケワラジで、ワラジと同様に紐を結んで着用します。足指に力が入りやすく滑りにくいので、労働に適しています。雪の降り始めの頃の山仕事に使用されており、山形ではツマゴワラジと呼んでいました。左の資料はフカグツと呼ばれるもので、すでに平安時代には文献に登場しており、『雅亮装束抄(まさすけしょうぞくしょう)や『飾抄(かざりしょう)に「藁深沓」を上皇が雪見に履いたことが書かれています。短沓形のものに筒形のワラ脛巾(はばき)を結合したように膝の高さまで編んだもので、雪中歩行に使用されましたが、農家の味噌踏みや酒造家の麹作りなどにも用いられています。フカグツにカンジキを併用すると、3メートルの深雪のなかを歩行することも可能です。



 > トップ >> 博物館展示品 >>> 弁当箱

   
                          江戸期 作

 外出先、屋外での労働などに携帯する食事を「弁当」といい、その容器を「弁当箱」と称しますが、弁当に詰める食材も弁当箱の形も、携帯する目的や場所でさまざまな種類がありました。弁当箱は藁、カシワやササの葉、竹の皮などを利用したもの、薄い木の板を曲げて作った曲げ物など素材・形態は多様です。
 この弁当箱は武士が使用したものと伝わっています。どちらも中は三段重ね、ご飯とおかずを分けて入れられるようになっていて、水分を含んだおかずを入れても汁が漏れないような蓋の造りになっています。現代の「ランチジャー」を彷彿させる発想ですね。
 右は銅の打ち物、竹で編んだ外部のケースも装飾がなく実用本位のもののようですが、左は鉄に漆が塗られ、全面に鯛や海老、松茸などが描かれ、外部ケースの内側には菊の模様の布が貼られた凝った造りとなっています。
 本来、酒やお茶・水などを入れる容器を「瓢」(ふくべ・ひさご)と呼び、酒の肴やおかずを入れる容器を「箪」と呼んだという説があります。二つ揃ってこその「瓢箪」であったものが、酒を入れる器だけを「瓢箪」と呼ぶようになったようですが、このケースの中ではまさしく「瓢箪」揃い踏みとなりました。