研究するひと #05

アジア研究最前線を行く研究者たち

国境をまたぎ、
地域をつなぐ学問と教育

2017.10.30

国境をまたぎ、地域をつなぐ学問と教育

山形大学はいま、アジア研究が熱い。アジア研究者の層の厚さ、カバーする地域の幅の広さは、他の地方大学に類をみない。アジアに関する教育の充実ぶりも目をみはるものがある。伝統的な学問の枠組みを超え、また単なる外国研究にもとどまらない、新鮮な知が生み出され、その成果には、国内だけでなく、国外の学界からも注目が集まっている。本特集では、その最前線に立つ若い4人の気鋭の教員に、アジア研究の魅力や、山形大学がアジアにむかって打ち出す未来について語ってもらおう。いざ、山形からアジアへ―。

アジア研究の伝統と刷新

 4人の登場人物を紹介しよう。まず人文社会科学部グローバル・スタディーズコースで教育を担当する今村真央先生、天野尚樹先生である。今村先生は東南アジア史、天野先生はロシア極東近現代史が主たる専門である。さらに、同学部人間文化コース担当教員から、モンゴル史が専門の中村篤志先生、日本史を専門とする吉井文美先生に登場してもらおう。
 4人とも共通して歴史研究を基盤にしている。しかし、対象とする範囲に違いがあることにお気づきだろう。中村先生、吉井先生はモンゴル、日本という「国」を単位としている。他方、今村先生と天野先生は国家を越える広域、もしくは、国家のなかの地方という、国家とは一致しない範囲を対象としている。
 歴史学は、ある国家の歴史を、史料を駆使して再構成することが基本的な領分である。複数の国家の関係を扱おうとするとことばの壁にぶつかる。自然と、多くの歴史学者は一国史の専門家となり、伝統的な歴史学は各国史別に専門が分かれることになる。
 中村先生と吉井先生は歴史学者としての性格が強いのに対して、今村先生と天野先生は、歴史学をベースとしながらも、その学問スタイルは地域研究に近い。地域研究は、自分の問題意識にそって、研究対象とする範囲を自覚的に切り取る。それが国家と一致する場合もあれば、複数の国家をまたぐ場合も、国家の一部である場合もある。自分が研究しようとする地域はどこか、その範囲を自覚することが地域研究の第一歩である。

ミャンマーのシャン州パオー自治区のカックー遺跡

ミャンマーのシャン州パオー自治区のカックー遺跡。2478の仏塔が並ぶ。近年ようやく外国人の訪問が許されるようになった。

 しかし、中村先生も吉井先生も既存の歴史学の枠組みに縛られているだけではない。また、今村先生、天野先生も歴史学の伝統を無視しているわけではない。伝統なくして刷新はない。歴史学の基本はあくまで一国史であり、ある国の成り立ちを考えることが歴史家の最も重要な仕事である。しかし、グローバリゼーションの時代と呼ばれる現代でなくとも、そもそも国家がその国境の内側だけで歴史を形成することなどありえない。この4人はみな、伝統的な方法を基礎としながらも、国境をまたぎ、地域を拠点に、そこから広く世界を見通す新しい学問のスタイルを身につけてきた。だからこそ、彼らは最前線なのである。

国境をまたぐアジア研究

 東南アジアをフィールドとする今村先生は、カチン人をはじめとするミャンマーの少数民族の歴史研究を軸としている。しかし、明確に空間を線で区切る西洋的な国境概念とは異なるボーダー意識をもち、また、第二次大戦直後から続く内戦で難民化した人びとも多い民族の歴史を追求するには、一国史という枠になどおさまりようがない。
 天野先生は、ロシア極東地域のなかでも、北海道から北に40キロほどのところに位置するサハリン島の研究に長く携わっている。この島は、20世紀前半だけで3度も、日本とロシアのあいだで国境線が引き直されている。ロシア史でもあり日本史でもあるサハリン島史を彼は描き出そうとしている。

サハリン島旧北緯50度日露国境記念碑

サハリン島旧北緯50度日露国境記念碑

中国雲南省カチン(ジンポー)の村

中国雲南省カチン(ジンポー)の村

 中村先生の主たる専門は17~19世紀のモンゴル史、モンゴルが清朝中国の統治下におかれていた時代の歴史である。必然的に、モンゴル語のみの史料だけを扱っているわけにはいかない。彼は、中国語、満洲語の史料も駆使しながら、さまざまな階層の人びとが地域の境界をまたいで織りなす関係性を追求している。
 吉井先生は1930年代の日本史研究が専門である。日中戦争、さらにはアジア・太平洋戦争へとやがて発展する時代であり、中国、さらにはイギリスやアメリカも重要なアクターとして関係する。日本の歴史学において、一国史的な伝統は日本史でとりわけ強固だといわれるが、日本語のみならず、中国語、英語の史料を駆使した彼女の研究は一層斬新である。

暴れる若馬を馴らす少年。「モンゴル人は馬上で育つ」

暴れる若馬を馴らす少年。「モンゴル人は馬上で育つ」

中国武漢にある旧日本租界の風景

中国武漢にある旧日本租界の風景

留学する意味

 国境をまたぐ地域研究を実践するには、多言語資料に取り組まなければならない。ことばの壁を越える方法として容易に推奨されるのが留学であろう。語学留学ということばもあるように、留学の目的は外国語を学ぶことというイメージは広く共有されているだろう。留学しなければ外国語は身につかないとすら思われているのかもしれない。
 吉井先生、中村先生、今村先生の3人はそれぞれ留学を経験している。何のために留学したのか。共通しているのは語学が主目的の留学ではない、ということである。
 吉井先生は、大学院博士課程1年のときに台湾大学文学院歴史学系に留学した。自分の国の歴史を勉強するなかで、異なる国の人びとが自国の歴史にどのように向き合っているのかを知りたいと思ったことが留学の動機だという。とりわけ台湾は「自分の国の歴史とは何か」をめぐって議論が絶えない地域である。台湾で台湾史を学ぶことが、日本史学を客観視することを可能にしてくれると考えたのである。
 中村先生は大学院生時代に、モンゴル国立科学アカデミー歴史学研究所に2年間留学した。語学の習得も動機のひとつではあったが、モンゴル語で遊牧民ともっと深く話をしてみたいという思いが強かった。机に座っての勉強もしたが、何より、遊牧民と草原で生活を共にした経験が、狭義の歴史学にとどまらない、モンゴル社会を広く視野にとらえた研究スタイルをつくりあげた。
 今村先生の「留学」は異色である。高校以降の教育を彼はすべて海外で受けている。アメリカの大学を卒業し、シンガポールの大学院にも学んだ。20年以上の在外経験は文字通り生活である。大学に籍をおいていただけでなく、人権団体のスタッフをつとめながら、実践的に東南アジアとつきあってきた。
 3人の先生とも語学習得が留学の主目的ではなく、また語学だけが留学で身につけたものではない。そこに留学しなければ学べないと思ったことがあるから留学したのである。その経験で得たものはとても大きく、だからこそ、山形大学の学生には積極的に留学を勧めている。大学が提供する機会も豊富にある。ただ、留学しなければ学べないことは何か、それを強く自覚したうえで、積極的にチャンスを生かしてほしいというのが、教員として全員がそろって学生に望む思いである。

地域に根ざしたアジア研究

 天野先生は学生時代に留学経験をもたない。しかし、日本の大学で身につけたロシア語を使って歴史研究をし、現地調査やロシア人との共同研究をおこない、研究成果を発表している。サハリン島史研究において彼は、ロシアでも「外国人研究者」扱いをされていない。島の歴史をともにつくっていく同僚なのであり、サハリン島研究者の世界的ネットワークを中心となって築いてきた。これまでに5冊の共著書をロシアにおいて出版しており、また、島を訪れるたびに、行政府やサハリン国立大学、各地の学校などから講演や授業を依頼されることなどからも、現地での彼の存在感をはかり知ることができる。

薬が効かない

サハリン島に残る日本時代の忠魂碑、現地調査の相棒セルゲイ・ペルヴーヒン氏(サハリン国立大学)と

 対象地域に根ざし、そこに溶け込むなかで育まれていく地域の人びととのネットワークは、研究を進めていくうえで欠かすことができない。たとえば、今村先生が対象とするミャンマーでは100以上もの言語が話され、カチン地域だけでも複数の言語が使用されている。現地での聞き取り調査を単独でおこなうのは不可能である。だからこそ彼は、共同調査によるフィールドワークを意識的におこなっている。単に通訳を雇うというのではなく、現地のパートナーと議論を繰り返し、お互いに調査の意味と意義を確認しながら進めることによって、地域の人びととともに歴史を再構成するという文字通りの共同作業を実践しつづけている。

ミャンマー北部、カチン族の村祭りで。紫色の帽子がカチン族独特のもの。

ミャンマー北部、カチン族の村祭りで。紫色の帽子がカチン族独特のもの。

東北のなかのアジア、
アジアのなかの東北

 現地に行かなくとも、アジア研究にはできることがたくさんある。秋田県立美術館に、パリで活躍した画家・藤田嗣治の「北平の力士」という作品がある。1930年代の北京(北平)の大衆市場の片隅でモンゴル相撲を取って日銭を稼ぐ大道芸人を描いた絵である。なぜ1930年代の北京にモンゴル相撲の力士がいたのか。同美術館から照会を受けた中村先生は早速調査を開始したが、これが相当奥が深い。モンゴル史の枠を越え、北京の都市風俗史や日中関係史、さらには美術史まで、国内外に眠る新たな史料の掘り起こしが進む。秋田の美術館から広くアジアに展開する新たな研究テーマがこうして生まれた。現在では、他分野の研究者とともに藤田に関する共同研究を進めている。

モンゴル国立中央文書館のモンゴル語文書(同館の展覧会にて)

モンゴル国立中央文書館のモンゴル語文書(同館の展覧会にて)

 ひとつの地域にこだわることで、世界とのつながりがみえてくる。地域研究の醍醐味はここにある。サハリン島同様、戦後にソ連の占領地域となった旧満洲(中国東北地方)には、戦前、2万人以上が山形から移り住んだことはよく知られている。日輪兵舎と呼ばれる、極寒の満洲での農業訓練のための施設も県内各地に残されている。この施設調査を出発点に天野先生は、山形から満洲へ移動した人びとの歴史の研究にも着手している。
 山形を研究拠点とすることは、アジア研究者にとって大きなアドバンテージもある。山形国際ドキュメンタリー映画祭の存在である。同ライブラリーには1万2千を超える映像作品が保管され、アジア関連の貴重な作品も数多い。研究にも教育にも映像作品を積極的に活用する今村先生は、この世界的にも稀有な資料に日常的にアクセスできることはきわめて大きな特権だと語っている。

山形県金山町に残る日輪兵舎

山形県金山町に残る日輪兵舎

山形大学アジア研究・
教育のこれから

 山形大学では多くの留学生が学ぶ。2016年には小白川キャンパス全体で111人(うち長期留学生9人)が入学、そのうち45人(長期5人)が人文社会科学部で学び、国別では中国からの学生が約半数を占める。中澤信幸先生を中心とする留学生教育や(コラム参照)、日本人学生も学ぶ「日本学」などの科目も設けられているが、留学生と日本人学生がともに学ぶ機会をさらに増やしていくことが今後の課題である。
 山形大学をアジアに発信する能力も高まっている。特筆すべきは、吉井先生が今年1月におこなった台湾師範大学での集中講義「近代日本と植民地」であろう。台湾を植民地統治の対象ともした戦前日本の歴史について彼女が中国語で講義するだけでなく、学生3人も同行して研究発表をおこなうなど、教員の研究だけでなく、教育の成果もアジアに発信されつつある。

2017年1月、台湾師範大学台湾史研究所での集中講義

2017年1月、台湾師範大学台湾史研究所での集中講義

 また、人文社会科学部が全学学生に提供する海外研修は、従来の台湾、フィリピン、オーストラリアに加えて、2017年度は今村先生が担当するミャンマー、さらに2018年度以降に天野先生がサハリン研修の実施を予定している。他大学ではなかなか考えられない両地域への研修は、フィールドワークを中心とし、学生がアジアに直接かつより深くふれる機会となるだけでなく、現地の人びととの交流をもつことによって、山形大学の名が各地に強く刻まれることにもなろう。
 国という漠たる対象ではなく、ひとの顔がみえる地域と地域との双方向のつながりを深めていくことが、地方大学のあるべきグローバル化戦略のひとつであろう。研究に、教育に、本特集の4人はその最前線に立ち続ける。

山形大学で学ぶ留学生、 日本語教育で広がるコミュニケーション

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今村真央(いまむらまさお)

今村真央(いまむらまさお)●准教授/専門は東南アジア地域研究。シンガポール国立大学卒業、PhD(地理学)。ハーバード大学イェンチン研究所フェロー、京都大学東南アジア研究所研究員を経て、2016年本学着任。東南アジア山地に暮らす少数民族の歴史を現在研究中。

天野尚樹(あまのなおき)

天野尚樹(あまのなおき)●准教授/専門はロシア極東近現代史、サハリン島地域研究。上智大学外国語学部卒業。北海道大学大学院文学研究科修了、博士(学術)。2016年本学着任。

中村篤志(なかむらあつし)

中村篤志(なかむらあつし)●准教授/専門はモンゴル史。東北大学卒業、2年間モンゴルに留学。博士(文学)。2003年本学着任。2007〜8年、中国人民大学に留学。主に16〜19世紀のモンゴル社会について研究中。

吉井文美(よしいふみ)

吉井文美(よしいふみ)●講師/専門は日本近代史。東京大学文学部卒業、博士(文学)。同大史料編纂所リサーチ・アシスタントを経て、2014年本学着任。日中戦争期の中国占領地政策とその国際的影響について現在研究中。

※内容や所属等は2017年当時のものです。

みどり樹

この内容は
山形大学広報誌「みどり樹」
Vol.72(2017年10月発行)にも
掲載されています。

[PDF/3MB]

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