ホーム > 国際交流・留学 > 海外拠点情報(駐在記) > ジョグジャカルタ海外拠点(インドネシア) > 大崎教授の海外駐在記「ガジャマダ大学駐在記5(7)」

大崎教授の海外駐在記「ガジャマダ大学駐在記5(7)」

 8月19日に、スラウェシ島のマカッサルに行きました。ガジャマダ大学のあるジャワ島ジョクジャカルタのアディスチプト空港から2時間の飛行予定でしたが、飛び立つ直前に、空港は空軍の使用のために閉鎖され、2時間遅れての飛び立ちでした。目的は、マカッサルにある、ハサヌディン大学で講義をすることと、マカッサルの約40キロ北東にあるバンティムルン自然保護区にある「チョウの谷」を訪れることでした。

 マカッサルは、スラウェシ島南端の南スラウェシ州の州都で、人口約150万のインドネシア第4の都会です。青く澄んだマカッサル海峡に面した港町で、ジョクジャカルタではなかなか飲めないビールを提供するレストランの多い、開放感溢れた町でした。

 インドネシアには本州よりも大きな島が3つあります。東のニューギニア島、中央のボルネオ島(インドネシア名はカリマンタン島)、西のスマトラ島で、国は東西に5110キロと長く伸びています。インドネシアの東端を山形市とすると、西端は中国を突き抜けて、中央アジアのキルギスとかタジキスタンに達する長さで、3つの時間帯を持っています。

 スラウェシ島は4番目に大きな島で、赤道直下、インドネシアの中央にあり、特徴あるKの形をした島です。島の西側にはマカッサル海峡を挟んでボルネオ島があります。1854年から1862年にかけて、イギリスの博物学者ウォーレスは、この周辺の島々を調査して、マカッサル海峡の西と東で生物相が大きく変わることに気づきました。海峡の西側には猿、オラウータン、象が生息し、東側には有袋類、ヒクイドリなどが生息していました。1868年に、イギリスの生物学者ハクスリーは、マカッサル海峡の西側の生物区を東洋区、東側をオーストラリア区とし、区切るラインをウォーレス線と名付けました。ハクスリーは「ダーウィンの番犬」と言われた人で、反論渦巻く発表当時の進化論を、擁護したことで有名です。

 ダーウィンは、南米のガラパゴス島を訪れて、進化論の着想を抱いてから、世間の反感を気にして、進化論の発表を20年間見合わせていました。しかし、1858年に、ウォーレスがスラウェシ島の東にある小さなテルナテ島から、ロンドンのダーウィンに宛てた進化論に関する小論文を手にして、慌てて書いたのが、1859年に出版された「種の起源」です。

 チョウの谷は、今から160年前にウォーレスが訪れて、無数の珍しいチョウが生息していると報告した谷です。同行してくれたのは、ハサヌディン大学の昆虫学のItji教授とVien博士でした。ウエブで調べた現地情報は、乱獲と観光地化と農薬の使用により、チョウの種数も個体数も、往時の半分以下に激減したとありました。チョウが生息するためには、チョウが卵を産み、幼虫の餌となる寄主植物が必要不可欠です。チョウ自体の餌となる吸蜜植物も必要です。多くが雑草や雑木として園芸家には無視され、美しい庭園からは排除されています。南国の緑溢れた著名な植物園ほど、チョウの姿は見られません。

 チョウの谷は、沢山の土産物屋や屋台が並び、谷の縁までコンクリートで固められ、チョウの生息地は破壊尽くされていました。オスのチョウが塩基類を吸うために集まる湿った砂地は、谷の最奥部にわずかにありました。初めて最奥部まで来たという地元の2人の昆虫学者が、群がって吸水するチョウを見て、「見たことのない光景だ」と言いました。

夕日のマカッサル海峡の画像
夕日のマカッサル海峡

吸水に集まるオスのチョウの画像
吸水に集まるオスのチョウ