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大崎教授の海外駐在記「ラトビア大学駐在記4(3)」

 

ライラックの花咲くリガの街 

 5月12日に、バチカンのベスト2に当たる、ローマ法皇庁国務長官のピエトロ・パロリン枢機卿が、ラトビア大学本館で講演をしました。この日、セキュリティーのために、招待者以外は本館入館禁止で、私もサテライト・オフィス使用の自粛を請われました。枢機卿は、ラトビアとバチカンの国交25周年記念でラトビア政府に招かれ、政府や教会の代表と会い、聖ヤコブ教会でミサを行い、ラトビア大学で講演をする、2泊3日の滞在でした。

 ラトビア大学での講演テーマは、「法皇フランシスコの第二の回勅、共通の家の世話について」(Laudato si’: The Second Encyclical of Pope Francis, On Care for Common Home.)で、2015年5月24日に現法皇が発表した二番目の回勅「環境論」でした。回勅とは法皇が世界のカトリック教区の司教に宛てた公文書で、「共通の家」とは地球のことです。

この話題を、日本語クラスのミック君にしたところ、「私は無神論者で興味はない。宗教は侵略者がもたらした外国の文化だ。」と言いました。ラトビアの土着信仰は、日本同様に自然と祖先霊を敬う多神教です。そして、13世紀にドイツによる占領でカトリックが、17世紀にスウェーデンによる占領でルター派プロテスタントが、18世紀にロシアによる占領でロシア正教がもたらされました。20世紀のソ連占領時代、宗教は禁止されていました。

この学生は、さらに、「日本は良いな。」と言いました。「日本の歴史は日本自らが作った歴史だ。ラトビアの歴史は、他民族によって作られた歴史だ。」と言うのです。ラトビアが初めて自らの国を作ったのは、第一次世界大戦が勃発し、ロシア革命が起こった後の1919年で、ロシアから独立しました。そして、第二次世界大戦時の1943年にソ連によって国を奪われ、2回目の独立を果たしたのがソ連崩壊の1991年です。

私は、何人かの学生に「ラトビアの首都リガは、歴史的文化遺産で素晴らしい。」と言ったことがあります。イーネセさんは鼻で笑い、ビドゥルス君は「リガは13世紀からドイツの植民都市で、ラトビア人は田舎の無学な農奴だった。祖父は未だに大統領のことをツアー(ロシア皇帝)と呼ぶ無学さだ。」と言いました。リガの住民はドイツ人の子孫で、バルト・ドイツ人と呼ばれ、約800年の間、リガの主人公でした。彼らは、第二次世界大戦時にラトビアを占拠したドイツ軍の敗北後、ソ連によって追われ、リガからいなくなったそうです。

現在のラトビアの宗教は、ルター派プロテスタント34.3%、カトリック25.1%、ロシア正教19.4%、その他のキリスト教1.2%、無宗教その他20.0%です。ロシア正教の信者の多くは、ソビエト時代に移住してきたロシア人だそうです。

ラトビアは、バルト海東岸に臨むバルト3国と呼ばれる国の1つで、北にエストニア、南にリトアニアがあります。いずれも北海道より狭く、人口も少ない国ですが、歴史はそれぞれ異なる大国の影響を受けました。各国の宗教は、エストニアは無宗教54.1%、不明(undeclared)16.6%、ロシア正教16.2%とあります。一方、リトアニアは、カトリック79.0%、ロシア正教4.1 %、ロシア正教古儀式派0.8%です。国により宗教は全然違いました。

リガの各家庭の庭に咲き誇っていた白いリンゴの花は盛りを過ぎ、今は、ピンクや白のライラックの花と、大きな樹体の全体に輝く、トチノキの白い花の季節です。

リンゴノ白い花とライラックの画像
リンゴノ白い花とライラック

トチノキの花の画像
トチノキの花