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大崎教授の海外駐在記「ラトビア大学駐在記4(6)」

 

イチゴ売りの姿が

 信号のない横断歩道の前に立っていると、車だけでなく、トラムやバスやトロリーバスまでが止まってくれて、横断を促してくれます。申し訳ないような気持ちになり、少し離れた位置で交通の流れをやり過ごすのですが、リガの人々はお構いなしに横断歩道に踏み込んで行きます。そんな時に、歩行者を縫うように通り過ぎていく車が、たまにあります。

 先日、横断歩道に踏み込んだ目の前を、猛スピードで通り過ぎていった車があり、リガで、1人の日本人が遭遇した死亡事故を思い出しました。1年半前の夜(2014年11月11日)に、横断中に交通事故に遭い、44歳で亡くなられた菅野開史郎さんのことです。ラトビア大学人文学部アジア研究科で日本語を教えていた方で、私に、ラトビアの見えない事情を色々と話して下さいました。

 菅野さんは、東大露文の大学院を出て、ラトビア大学大学院の博士課程に留学され、院修了後に駐ラトビア日本大使館の専門調査員を経て、ラトビア大学の日本語講師をしていました。御専門は、「スラブ・バルト語学、特にラトビア語とロシア語の比較対象研究」ですが、ドイツ語や韓国語も堪能だったそうです。勿論、英語も堪能でした。事故当時は、ラトビア大学の任期付き講師でしたが、任期のない正規職に変わる話が持ち上がった直後で、ラトビアの女性と結婚され、小さなお子さんもいました。

 事故当時、菅野さんはヘッドフォンをつけて音楽を聴きながら歩いていたそうです。私は事故現場と思われる場所に行ってみましたが、片道3車線の広い道で、恐らく、人気のない夜の横断歩道を、音楽に耳を傾けて渡っている時に、事故に遭遇されたことと思います。

菅野さんは、クラッシック音楽に造詣が深く、音楽評論を書かれていて、知る人ぞ知る世界での有名人だったようです。特に、日本における、ラトビア音楽の普及活動にも力を入れていたようです。現在、ラトビアには、ゲオルグス・ペレーツィス(Georgs Pelecis)という1947年生まれの作曲家がいて、菅野さんは、ラトビアに来る以前から彼のファンだったそうです。そして、1999年にラトビアに来ると早々に、この作曲家の知遇を受けるようになったと、「日本ラトビア音楽協会」のニュースレターに、御本人が書いていました。

ラトビア大学人文学部アジア研究科には、もう1人の日本人の若い女性講師がいます。新井佳子さんと言い、先日、お会いして話を伺いました。人文学部には、昨年から、韓国政府が寄贈した韓国研究センターがあるそうです。そこには、韓国政府が派遣した韓国人の先生以外に、ラトビア人の若い女性の先生もいるそうです。彼女は元日本語コースの学生で、日本留学中に韓国語に興味を持ち、帰国した時には韓国語が専門になっていたそうです。

6月に入り急に暑くなり、人々は半袖姿に切り替わったのですが、一週間が過ぎ、一転して、冷たい雨が降り、日中の気温も6度を越えなくなりました。人々は、またダウンジャケットを着込んでいます。郊外の街角には露店が良く設けてありますが、どの店も、大きな甘いイチゴを売るようになりました。

6月14日、各家庭は一斉に国旗を掲揚しました。1941年のこの日、女性子供を含む1万5000人のラトビア市民がシベリアに追放されたそうです。休日ではありません。

露店のイチゴ売りの画像
露店のイチゴ売り

シベリア送りの人々を悼みの画像
シベリア送りの人々を悼み