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学長特別対談『変わり続ける社会の中で 必要となる意識改革』

 テンプル大学ジャパンキャンパス学長として、大学経営の手腕を発揮されているブルース・ストロナク学長は、外国人として初めて公立大学の学長に就任され、日本の大学の改革に奮闘してこられたご経験をお持ちです。本学の経営協議会の外部委員としても、様々なご助言をいただいていますが、今回は、日本の大学とアメリカの大学の違い、組織の外から見た大学改革などについて、小山学長と大いに語っていただきました。

チャレンジの連続で大学改革の前線へ

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ブルース・ストロナク(Bruce Stronach)

テンプル大学ジャパンキャンパス学長

1950年米国メイン州生まれ。74年キーン州立大学(米国)卒業。76年慶應義塾大学客員研究員、国際センター講師などを経て、85年メリマック大学(米国)助教授。90年国際大学(新潟県)国際関係学研究科助教授、97年研究科長兼教授。98年ベッカー大学(米国)副学長、2003年ベッカー大学学長代行。05年4月に公立大学法人横浜市立大学学長。08年4月から現職。法律外交修士、文学修士、国際関係学博士の学位を持つ。
17年4月から本学の経営協議会学外委員を務める。山形大学職員へのメッセージは、「Never forget that what you do is for the student and your society.」

小山 本日は山形へお越しいただきありがとうございます。ストロナク先生は現在、テンプル大学ジャパンキャンパスの学長をお務めですが、日米で教鞭を執ってもいらっしゃいました。まずは教員になられたきっかけから教えていただけますか?

ストロナク 大学院生だったとき、ボストンの短期大学で非常勤として基礎経済学を教えたのが最初でした。ベトナム戦争が終わった頃で、退役軍人の学生が多かったですね。自分より年上の人に教えるのはとても緊張したのを覚えています。

小山 その後、慶應義塾大学でも教員をされていましたね?

ストロナク 1985年頃まででしたが、その頃、外国人は大学の専任教員になれず「客員助教授」という立場だったんです。それでいったんボストンに戻り、5年間の助教授のポストを得ました。4年目にテニュアを取るときに、新潟の国際大学からオファーがあり、日本に戻る選択をしました。私には、アメリカでテニュアを取ることが良いと思えなかったんです。

小山 みんなテニュアに憧れるのに、どうしてですか?

ストロナク 安定した職とは言えますが、言い換えれば20年、30年と同じ事をやるとも言えます。これでは自分の考えが新しくならないと思いました。私はいつも新しいことにチャレンジしていたかったんです。それで日本に戻り、国際大学で准教授、教授、研究科長をやりました。研究科長になった頃が、大学改革の機運が高まっている時期でした。この時に大学経営に関心を持ち、それを学ぶため再びアメリカに戻ることにしたんです。そしてマサチューセッツ州立大学でプロボストという、事務長と教務部長を兼ねるポストを務めました。

小山 大学内で一番の権限を持つポストですね。

ストロナク その頃、日本では、孫福さんが大学改革のエキスパートとして活躍されていました。私が慶應義塾大学の教員時代にお世話になった方で、彼が当時の横浜市長であった中田さんから、横浜市立大学の改革について相談を受け、私が呼ばれたんです。孫福さんの推薦で、私は横浜市立大学の学長になりました。学長に就任する前に、「学長予定者」として大学改革推進本部を作り、リベラルアーツ教育のことや、学部の統合、教員評価のことなど、約1年かけて準備を行い、その後、公立大学法人となったタイミングで横浜市立大学の学長に就任しました。

改革に必要なマインドとは

小山 日本の大学の改革は大変でしたか?

ストロナク 市役所の方は「公立大学の状況と抱える問題が分かるのか?」と心配したようです。私は外国人として初めて公立大学の学長になりましたが、重要なのは、横浜市立大学の歴史の中で、初めて大学の教員でない人が学長になったことです。もちろん教員には反対されましたね。市長が連れてきた外国人がいきなり学長になったんですから。私も、反対があることは理解できます。その時私は、自分を「外外人」と表現したのです。

小山 「外」が2つ付くのですね。

ストロナク そう、大学外から来た外国人という意味です。私には大学改革の責任者という顔がありました。だから、改革をしたくない人は反対します。「どうして学内の人間が学長にならないのか」と。面白いことに、反対する教員は人文系の方が多かったですね。私の経験から言うと、日本の大学は全て、同じ問題を抱えていると思います。それは理工系と人文系で全く違うということです。理工系を例にすると、論文のインパクトファクターが日本の雑誌だけでは足りないから、外国の雑誌に発表したり、外国で論文発表をしたりしなければなりません。つまり理工系の方は、客観的な意識があります。有名なジャーナルに発表したいなら、国際的な競争で勝たないといけない。理学・工学・医学系の人はそういう世界にいます。対して、人文系は国際的な激しい競争が少ない。私もそういう人文系の世界にいましたから、失礼を承知で言えば、あの世界は客観的でない面が時々あります。また多くの人がリベラルアーツを人文系の教育と考えていますが、それは違います。リベラルアーツで大切なことは、教育方法なのです。

小山 教育方法ですか?

ストロナク 教養教育は、もっともっと人文系と理工系の教育を近づけていくべきだと思います。リベラルアーツは生きものです。リベラルアーツ教育を受けた卒業生が社会でどう活躍しているか、をしっかり見なければなりません。大学教育の成果は人、卒業生です。人の役割、社会の役割はずっと同じではないですから。

小山 常に変わって行きますからね。

ストロナク 特に今はITとかAIとかインフォメーションの時代です。今の卒業生と20年前の卒業生では、社会における役割が異なります。社会自体が変わるのだから、教育も変わらなければなりません。リベラルアーツは常に変わり続けなければならないのです。

小山 次の社会、その次の社会に必要な、生きる力を教えるのがリベラルアーツということですね。

ストロナク だから、大学も生きているということです。サメが動かないと死んでしまうように、大学も同じです。動かないと死んでしまう。10年後、20 年後がどういう状況かを考え、計画を立て、それを実行するための施策をどうするか、イノベーションをし続けなければいけません。先日、私はテンプル大学と契約更新のサインをしました。メインキャンパスのプロボストに今後3年、10 年の戦略を提出したところです。

客観的な視点を持ち、多様性を受け入れること

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小山清人(こやまきよひと)

山形大学長

1949年和歌山県生まれ。山形大学大学院理工学研究科修士課程修了後、山形大学工学部助手、助教授、教授を経て2004年から山形大学工学部長・ 理工学研究科長、07年から山形大学理事・副学長。1995年ベンチャー・ビジネス・ラボラトリーを設立し、地元産業との共同研究を推進、2001年には大学教授として民間企業の取締役にも就任した。14年4月より現職。工学博士。専門は高分子レジオロジー工学、超音波工学。学生時代から山形大学ひとすじの「山形大学49年生」。宿舎での雑草刈りが最近の趣味。

小山 それは、テンプル大学のメカニズムですが、日本の大学ではどうですか?

ストロナク 日本の大学は法人化をきっかけに、この15 年で変わってきました。例えば今度、日本のある私立大学にはスイスの人事コンサル会社が入り、学長候補者を選ぶことになっています。ですが、まだ日本でこういうやり方は少ないですね。総長、学長を公募で探すことはしていません。国際的なイメージの有名大学も、国外には公募をしていないのです。誰が最もそのポジションに相応しいか、比較しなければ分からないのに。ただ、これは人事面での一つの例ですね。
ところで小山学長、この15 年間の大学改革で一番変わったことは何ですか?。

小山 経営面で言えば、学長の権限はずいぶん強くなりましたね。以前はゼロでしたから。

ストロナク その通りです。私も以前は「責任全て、権限ない」と言ったものです。権限は全然ないのに、何でも「それは学長の責任です」と言われて。今はその頃より学長の権限が増えたと思います。ただ権限に限ったことではありませんが、実はそれはゼロベースからほんのちょっと変わっただけなんです。大学内部の視点だけでは、ものすごく変わったように感じてしまいます。ですが、外から見たらほとんど同じですよ。アメリカの大学と比較すると全く違います。東大の秋学期入学、大学入試改革、大したことではありません。日本の大学が改革すべきなのは、もっと深いことです。中央教育審議会会長の安西祐一郎先生と2014 年に入試改革について話しましたが、先生は「2020 年で変わる」と当時おっしゃっていて、「6年もかかりますか?」と私は言いました。日本のカルチャーの中では改革に時間がかかり過ぎではないでしょうか。更に言うと日本の大学は、昔は学生のためのものとは言えませんでした。教員は研究とか発表とか、そういうところに意識が向いていましたね。

小山 そのあたりは少し変わってきています。

ストロナク それはいいことです。では学生サービスという言葉がありますが、どのくらいのサービスでしょうか。
テンプル大学ジャパンキャンパスでは、1200人の学部学生に対して、学生サービスとして10人くらいのスタッフがいます。それにアカデミックアドバイザーが7人くらい。そういうサービスは日本の大学はまだまだ少ないと思います。

小山 どういう授業をどういう風に受けて、どう勉強するかというアドバイスをするんですね。日本では、それを教員がやっています。

ストロナク 大学で一番大事な学生サービスは「Degree Path」です。4年で卒業するために何が必要か、必修と選択科目のカリキュラムをどう組み合わせるか、留学したいかなど学生にアドバイスします。プロのスタッフは効率的、客観的なアドバイスができます。大学のメカニズムもよく分かっている。そういうことが学生サービスだと思います。私の誤解かもしれませんが、もし交換留学の協定がない大学に学生が個人的に留学したいとき、日本の大学では「ダメ、できない」となるのではありませんか?

小山 いや、休学や留年といった手段をとれば可能ですね。ただ教員も職員も、それを積極的に勧めることはないでしょう。日本の社会自体がそういう考え方ですから。

ストロナク 社会も大学内も、教員も事務職員も、意識は「One」Pathです。今後の社会はフレキシビリティが大切になるのに。ひとり一人の教員・職員が、人生には様々な道があると考えを変えていかなければなりませんね。それからダイバーシティ。先ほど大学は生きていると言いました。ですから、職員がずっと同じ大学で働くのはもったいないと思います。国立大学のプロパーと、民間企業との交流などができるようになると良いですね。

小山 確かに現時点で日本の社会は、一つの組織に入るとずっとそこで働く仕組みです。ですが、その仕組み自体が変わっていきますから、学生を教える立場からすると、変わっていく次の社会を意識して教えなければなりません。
そのためには、教員も、事務職員も10年、20年後のフレキシブルな社会をイメージして働くことが必要ですね。

ストロナク 様々な経歴の方が共に働くのが良いと思います。どちらかに偏ってもだめです。もし、私が若い教員を採用するなら「採用後も次のポストを目指す人」を選びます。そういう人は、自分自身のキャリアアップのために一生懸命働いてくれます。自分のキャリアのため、学生のために一生懸命仕事をしてくれれば、それが結果として大学のためになるのです。

小山 新しい視点をいただきました。本日はありがとうございました。