国際交流担当大崎教授の海外駐在記

ベトナム国家農業大学駐在記(4)

   ハノイに来るようになってから、今年で4年目です。街は急激な大変貌を遂げています。当初は、暗く小さな飛行場に着くと、真っ暗な闇の中を、田舎道が延々と続き、行った先には何があるのか不安になったものです。大学は幹線道路から2キロほど脇に入った所にありますが、この脇道が細く、道の両側には、掘っ立て小屋のような店が軒を連ね、道にあふれ出した商品や人を避けながら、車は縫うように走ったものです。
 今年、飛行場は大きく明るくなり、広く明るい高速道路が街の各所を目指して走り、弧を描く立体交差が幾つも出てきます。大学に至る脇道は、広い2車線の道になり、両側には化粧レンガ作りの歩道が設けられ、お店は大きなガラスの扉があるものになりました。
 大学から、市内中心地に行くバスが2車線出ていますが、4年前は、バス代は3000ドン(1ドン=182.6円、当時は250円)でしたが、毎年値上がりして、今年は7000ドンです。しかし、空港から大学までの道が整備されて近くなり、タクシー代は約65万ドンから48万ドンと安くなりました。大学構内には、バス停が2カ所ありますが、バスの排気ガスを憂慮した新学長のラン先生は、就任早々、バスの構内進入を禁止したそうです。しかし、不満多数で、一カ月で禁止は解かれました。
 学生達のファッションも大きく変わりました。4年前は、誰もが、大学の紺色に黄色の帯が目立つ上下のジャージを着て、女子学生は長髪を後ろで束ね、化粧気はありませんでした。男子学生は、昔のベトコンを彷彿させる刈り込んだ髪型でした。
 しかし、今は、大学のジャージを着ているのは少数派で、女子は口紅を塗り、マニュキュアをする子が増え、髪型は、女子も男子も韓流スターのようにするのが流行っています。そして、手には例外なく、スマートフォンが握られています。
 何よりも大きく変わったのは、学生達の日本語感覚や留学意識です。以前なら、留学相談と言えば、英語で行われ、奨学金の有無が関心ごとでした。しかし、今年は、日本語での相談が増え、奨学金よりも、留学経費や、入学試験の具体的な内容に移っています。
 12月6日は、ハノイ市内で日本語能力検定試験がありました(世界各地で一斉です)。山形大学提供日本語クラスからも、在校生や卒業生が何人も受けたようで、この日の夜に、受験したという9人の学生が、ゲストハウスの私の部屋へやって来ました。多くはN3(英検2級程度)やN4(準2級)の受験者で、N5 (3級)も1人いました。
 彼らの関心は、12月3日に、鶴岡の農学部大学院を受験したN3の女子学生の結果でした。日本語クラス出身者で初めての日本語での受験者です。そして、N4を受けた女子学生が、スマートフォンで、山大人文学部の国際文化学科や地域教育文化学部の国際関係コースを示し、学部入学をどうすれば出来るかを尋ねました。経費は問題ないそうです。さらに、N4を受けた男子学生が、スマートフォンで山大農学部の畜産の先生の写真とプロフィールを示し、父親は40万円出してくれるが、この先生の許へ行けるだろうかと尋ねました。
 12月7日は、ゲストハウスの2階ロビーで、手巻き寿司パーティーをし、36人が参加しました。具材の買い出しは、タクシーで約10万ドンの地にある、イオンモールでした。

 


手巻き寿司パーティーで


手巻き寿司パーティーで