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校長室だより

平成30年度 創立140周年記念式
誕生日って何がめでたいのでしょう

平成30年10月1日 校長 佐藤昌彦

朝夕に耳を澄ますと、あちこちから虫の声が聞こえてくる季節になりました。もう、すっかり秋ですね。
 さて、今日は、附属小学校の140回目の創立記念日です。ここに、同窓会会長の中村喜兵衛様、PTA会長の佐藤 元様、ご来賓の皆様のご臨席のもと、創立記念式を行えますことは、大きな喜びです。ありがとうございます。
 附属小学校に二つの誕生日があることは、開校記念式でお話ししました。この10月1日は、附属小学校の基になる学校が、誕生した本当に最初の日です。そこで、この機会に創立記念日に関わることについて、いろいろ調べたり、考えたりしてみました。

今年で140歳。すごいですよね。1878年 明治11年の出来事です。
 そこで、まず、そのころの様子を少し調べてみました。
 山形県は、初め山形県・米沢県・酒田県(途中から鶴岡県にかわります)という3つの県に分かれていたのだそうです。その3つの県が、明治9年に山形県としてまとまり、その県庁として文翔館の立っている場所に県庁が建てられました。これがその当時の建物です。
 そして その2年後に県庁の目の前に建てられたのが、私たちの学校です。県庁の隣ですから、県の中心に建てられたことになります。これは、今も変わりませんね。
 さて、その当時の町の様子をみると、服装は着物がほとんどで、道は、舗装されていない土の道、車は通ってなくて、荷車や人力車が走っていたようです。
 この写真は、ほうきやかご、たらいなどの雑貨を売り歩く人の写真です。大八車に山ほどの荷物を載せて売り歩いています。
 こうした写真の中に、とても心に残る写真を見付けました。それはこの写真です。学校ができたころ、明治10年代の子どもたちの様子です。みんな 楽しそうに笑っているのがわかりますか?この写真は、アメリカから日本に来ていた 動物学者のエドワード・Sモースさんが撮ったものです。モースさんは、このように紹介しています。
 日本は子供たちの天国である-
 それは、来日したことのある他の外国人たちも一致した意見である。世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。
 どうですか、この写真のほんの少し前まで日本では、お侍が刀を差して歩いていて、明治維新の戦いをしていたはずです。おそろしい時代だったのかなぁと思っていましたが、外国から来た人は、子どもの天国だと言っています。学校が生まれた明治時代は、子どもが大切にされた時代だったのですね。なんだかうれしくなりました。

これが 140年前をふりかえってみてわかったことです。

さて、話はがらりと変わり、二つ目の疑問です。★
 今日は学校の誕生日です。そこで、誕生日について考えてみました。本当に「おぎゃあ」と生まれたその日は、新たな命が生まれた日、まさに誕生日で、とてもおめでたい日だというのは、みんな納得できます。でも、それから365日ごとに、毎年やってくる生まれた日と同じ日付の日 誕生日ってどんなものなのでしょう。お祝いしますが、何でめでたいのでしょう。
 実は、日本では、日本人全員が、1月1日に1つ年をとるという考え方で、みんな一斉に年が増えました。ですから、誕生日という考え方やお祝いは無かったのだそうです。誕生日という考え方が出てきたのは、明治時代に「自分の生まれた日に年をとる」という法律ができたときです。でも、お正月にみんな年をとると考えてきた日本では、なかなか馴染まずに、ずっと考え方が変わらなかったようです。そごで、それからずっと後の昭和24年に「ちゃんと生まれた日に年をとるようにかぞえなければならない」ともう一つ法律をつくったのだそうです。それで、やっと、「一人一人の誕生日」「わたしの誕生日」という考え方が広がったといいます。
 さて、こうして決められた誕生日は、どうしてめでたいのでしょうか。
 「生まれた記念日として、この日のことをわすれない。」ということなのだと思いますが、一年ごとの記念日をみんなでお祝いするのには、どんな意味があるのでしょうか。
 「大きくなったね。成長したね。」ということかもしれません。「1年間、無事に過ごせてよかったね。」ということなのでしょうか?でも、それならお正月にみんなで祝ってもいいような気がします。
 先生の中では どんどん 謎が深まっていきました。みなさんは、誕生日は、なんでおめでとうなんだと思っていますか。いろいろ調べてみたのですが、はっきりと「これだ!!」という答えは、見つけられませんでした。でも、先生なりに自分の答え、納得を見つけました。それは、「誕生日は、めでたいからお祝いするというより、お祝いをするからめでたいのだ。」と思ったのです。ちょっと変ですか?
 もし、一人ぼっちの誕生日で、だれもおめでとうって言ってくれなかったら、ただの 普通の日なんじゃないかと思ったのです。
 自分のために、家族が、友達が、親戚が、お祝いしてくれる。「おめでとう」と言ってくれる。それで、「ああ、この1年もみんなと一緒に生きてきたんだなぁ。」この人たちとの繋がりに、改めて「ありがとう」と思う日なのではないかと考えました。
 〝お誕生日〟は、一緒に祝う笑顔があって、「おめでとう」と言ってくれる人からこそ めでたいのかもしれません。
 つまり誕生日は、家族や、友人、親戚、そんなつながりのある人たちと、一緒に一年を過ごせたことを祝う日なのではないでしょうか。
 これからも、つながりのある人たちと一緒に生きていきたいと願いながら、産み育ててくれた親に感謝し、お祝いをしてくれた友達に感謝する。それが 誕生日の意味なのかもしれないと考えました。
 こういう意味で誕生日は特別なんだと思いました。誕生日を祝ってくれる人がいることが、幸せなのだと思いました。誕生日を祝ってもらえるということは、自分のことを「大切だよ」「大好きだよ」と思ってくれている人がいるということなんだと思います。

 さて、今日は、附属小学校の誕生日です。
 附属小学校の誕生日をお祝いするために、こんなにたくさんの人が集まっています。
140年間、こうして附属小学校は、毎年、本当に多くの人から、大切に思われ、好きだよと思われてきたのだと思います。附属小学校って本当に幸せですね。

先生は、附属小学校の誕生日をきっかけにして、いろんなことを調べ、考え、そして、自分なりの「なるほど」納得をつくるのがとても、おもしろくて楽しかったです。是非、皆さんも、この附属小学校の学び手として、いろんなきっかけを見つけて、調べたり、考えたり、納得をつくったりしてみてください。

これで お話を 終わります。

創立140周年 児童代表のあいさつ

 

今日で、附属小学校創立140周年をむかえました。ご来ひんのみな様や先生方、在校生のみなさんと一緒に、この日をむかえることができ、とてもうれしく思います。
 私は、この附属小学校に支えられてついに、最高学年である六年生になりました。いつも通っている附属小学校は、木々の緑やみんなの笑顔であふれています。附属小学校では、学年の木が大切に育てられています。そして、学年の木の花言葉を目標に生活しています。校内にある、木を見ると長い歴史を感じます。いつも附属小学校と一緒に見守ってくれているようでした。
 そしてこの6年間で、助け合い信頼できるたくさんの仲間ができました。その中でも1番心に残っているのは、みのり班です。
 1年生のころは、初めて会う人ばかりで怖がっていた私を笑顔で迎えてくれて、うれしかったのを覚えています。そして6年生は、とても大きく、頼れる存在でした。1年生の時は、ただみんなについていくだけでした。
 でも、学年が上がるごとに下級生のお手本になろうという気持ちが強くなりました。そして去年、オリーブ学年から引きついだ班長ファイル。その班長ファイルをもらったときに、今まで班長がしてくれた明るく、笑顔がたえない班になれるようにがんばろうと思いました。でも、班長になってみて初めて班長の大変さが分かりました。
 みのり班を結成し、みのり遠足やみのりスポーツフェスティバルをとおし、一人一人の良さ、班全体の良さが見つかりました。声がけや助け合いながら班全体が明るくなり、つながり合った気がします。
 みのりスポーツフェスティバルでは、みのり班はもちろん、学年をこえてのつながりが増えました。みのり班のみんなと前に出て応援したときまるで競技している人のような、真剣な顔でした。一人一人が必死にやっていて、私もつられてやりました。しかし、全員リレーでは3位という結果でした。私達も、黄組の役に立ちたいという気持ちから、騎馬戦では黄組の騎手のみんなと一緒にがんばろうと思いました。このように一人一人が同じ目標に向かって取り組むことにより、心が一つになったと感じます。今行われているクラス紹介では黄組という関わりだけでなく、クラス内での関わりを大切にしてほしい。もっとクラスの良さを見つけてほしいと思い、考えました。この附属小学校には、関わり合える機会が多く、そしてたくさんの学びがあります。だから私は、附属小学校が大好きです。
 附属小学校は、明治11年に今の山形市役所の近くに建てられ、それから場所や名前を変えながら、140年という長い年月をかけ、今のようになりました。今日のような良き日がむかえられるのは、今までこの附属小学校の伝統をつないでくれたせんぱいがたの努力があったからだと思います。そしてこれから自分にできることを考え、大テーマにあるように、附属小学校のみんながひとつにつながることができるように、行動していきたいです。