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校長室だより

全校朝会 校長講話
(うるう年・がんばりの「姿」)

平成27年2月29日 校長 日伸哉

おはようございます。今日は放送朝会に変更しました。
 皆さんの元気な歌声を聴くことができなくて大変残念ですが、インフルエンザのことも気にかかりますし、 何よりも皆さんの健康が大事ですから、体育館に集合せずに、このように放送で行うことも大切なことです。

それでは、二つ、お話をします。
 一つ目は、今日にちなんだお話です。今日は、2月29日ですね。ちょっと特別な一日です。 普通の年には、2月29日はありません。2月は、普通28日までですね。こういう29日まである年を何というか知っていますか。 そうですね。「うるう年」と言いますね。一般的には、4年に一回、うるう年がやって来ます。
 これは、普通一年が365日で進んでいますが、実は、365日と5時間48分46秒ということから、少しずつズレていくのを修正しなければならないからなのだそうです。 西暦を4で割って割り切れる年が、うるう年になると決められています。(今年は2016年ですから4で割り切れますね。) 4年に一回でも、まだ少しズレるので、100で割り切れる年は、うるう年にしないとか、400で割れる年はうるう年にするとかという細かいルールがあります。 これには、算数や数学の見方や考え方が活用されています。算数や数学の学習が、私たちの「生活」や身の回りの「世界」を見つめ直したり、新しいものを生み出していくことに関わっているのです。 そう考えると、算数はもちろんのこと、それぞれの教科を大切に学んでいってほしいと願います。

二つ目のお話をします。
 二つ目は、皆さんの「姿」で、とてもうれしくなったことのお話です。 まずは、ダブル握手をしてからですね。先週の金曜日、校長先生は出張で学校を留守にしていましたが、心のこもったすばらしい「六年生を送る集会」になったことを、教頭先生はじめ、各学年の担任の先生方にお聞きしました。 どんなことがすばらしかったのか、具体的にお話しします。まずは、一年生から五年生までの送る側としての「ありがとうの心」が、しっかりと「姿」として表われていたことです。 二年生の心のこもった「招待状」。手をつないで入場の先導をした一年生の満面の「笑顔」、三年生の願いが表れた体育館入り口の「希望の虹と六年生一人ひとりが乗った列車(装飾作品)」、 体育館までの廊下を歩くと優しい気持ちにしてくれる「上品な和の心のつまった筒かざり(四年生の装飾作品)」、五年生の威勢の良い「北国太鼓」や声の限りをつくした「応援」、 スムーズな「進行」や「あいさつ」「ナレーション」の一つ一つの「姿」に、これまでの「丁寧な取り組み」と「本気の心」を感じ、心が温かくなりました。

皆さんは、「コップの水に浮かんでいる氷を見たことがありますか。」
 水の上に見えている氷は、ほんの少しです。大部分は、水の中にあり見えません。見えているほんの少しの部分を支えているのが、水の中にある見えていないほとんどの部分です。 水の中で見えないかもしれないけれど、多くの支える部分があるからこそ、その「姿」が浮かび上がってくるんですね。

話を戻しましょう。四月から学校の機関車になる五年生やえざくら学年では、何度も打ち合わせをしたり、練習をしたり、リハーサルをしたりして、一人ひとりが最大限の力を発揮しようと取り組んでいましたね。 コップの水に浮かんでいる氷と同じで、それぞれの学年が見えないところで、心をこめてコツコツ取り組んできたからこそ、集会という「時と場」で、そういう「姿」が表れたのです。
 これは、とても尊いことです。「思いや願い」があっても「姿」として表れなければ、なかなか伝わらないし、「姿」が生まれるまでにはたくさんの「時間」や「労力」がかかり、「粘り強さ」が求められるからです。 それを一年生から五年生が見事にやってくれました。見事に「姿」として表してくれました。
 そして、もう一つ。六年生は、その一年生から五年生の「姿」にしっかりと応えてくれました。 「本気の姿」に「本気の姿」で応えてくれたのですね。「本気の歌声」「本気の合奏」を、心に残るハーモニーという「姿」で響かせてくれました。 心の花が咲いた瞬間だったのではないでしょうか。
 これもまた、尊いことです。一年間、みのり班で力を合わせて取り組んできて良かったなあと、心から思います。

卒業式という「お別れ」が、もうそこまで来ています。残りの一日一日を大切にして生活していってほしいと願っています。