医学部長に 嘉山 孝正 教授が就任 
  10月1日付けで,医学部長に 嘉山 孝正 教授が就任されました。任期は,平成17年9月30日までです。
  新たに医学部長に就任された嘉山教授に,就任に当たっての所感を寄稿していただきました。

自分の仕事

   医 学 部 長
か   やま    たか  まさ 
嘉  山   孝  正   教授 
 大学を卒業して28年目になります。最近、自分の仕事内容が部分的には28年前と同じものと全く新しい分野のものとが混じり合っていることを、強く意識させられております。卒業後、医学特に神経科学を基礎学問とする脳神経外科学を勉強してきました。最初の6年間は一部学生や後輩の研究や医学を教えてはおりましたが、大部分は自分のための仕事(基礎研究や臨床研究)をしていました。神経伝達物質のひとつのカテコールアミンをカラム法で測定する苦労(現在では機械的に測定可能)や、140頭の犬と寝食を共にした実験での苦労は、全て自分のための仕事でした。自分のための仕事は自分しかできません。他の誰もやってはくれませんから、自分の仕事です。博士号、専門医資格を取得した卒後6年目に文部教官助手になりましたが、ここで教育が自分の仕事に加わりました。当初は、教育(学部学生教育、大学院生教育)が自分のためとは考えられませんでした。ある時、学生から「先生にとっては、学生は沢山いて、そのうちの一人が私かもしれないが、私にとっては先生しか脳神経外科学を教えてくれないのですよ。」と言われました。 自分の仕事に責任と義務が加わった気がしました。その後、講師、助教授となっても、基本的な仕事内容は大きくは変化せず、自分の仕事(研究、臨床)と教育を行ってきました。卒後21年目に教授を拝命いたしましたが、仕事内容が大きく変わりました。たとえば、臨床の仕事で、教授しかできない手術には入るが、若い人が行っても同じ手術には入らず、入退院は責任をもって決定はするが、私でなくとも仕事内容が済む、外来は行わなくなりました。その代わり、講師、助教授ではできない資金調達、人事の仕事は責任をもって行う様になりました。それができなければ、いくら研究、手術等の仕事ができても教授職を満足しているとはいえないと、考える様になりました。病院長、学部長を拝命して種々の組織の不合理や新たなアイデアから企画、立案、実行する仕事が加わりました。若い時代の自分しかできない仕事は自分のためでした。現在では、いくら手術ができ脳神経外科学の研究ができても、学部長としては意味がないと考えております。責任、義務を常に考え、学部長しかできない仕事を行い、その任を果たしたいと考えております。

        略  歴

        本籍  神奈川県 昭和25年2月19日生(53歳)
        昭和50年3月 東北大学医学部卒業      平成 2年10月 東北大学講師医学部附属病院
        昭和50年7月 東北大学医学部附属病院    平成 6年 5月 山形大学助教授医学部
        昭和53年4月 ギーセン大学医学部脳神経外科 平成 8年 7月 山形大学教授医学部                     
        昭和54年4月 東北大学医学部附属病院    平成13年 7月 山形大学医学部附属病院長補佐
        昭和55年4月 国立仙台病院脳神経外科    平成14年 4月 山形大学医学部附属病院長併任  
        昭和56年4月 東北大学助手医学部附属病院  平成15年10月 山形大学医学部長併任 
        昭和58年7月 国立仙台病院脳神経外科   

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