人文学部長に 阿子島 功 教授が就任 
  4月1日付けで、人文学部長に 阿子島 功 教授が就任されました。任期は平成18年3月31日までです。
  新たに人文学部長に就任された阿子島教授に、就任に当たっての所感を寄稿していただきました。

阿古屋姫伝説と環境復元

人 文 学 部 長
あ  こ  じま    いさお 
阿 子 島   功   教 授 
 山形市のランドマークである千歳山にかかわる阿古屋姫伝説を記した江戸時代中期の文章がある。「恥川・・阿古屋姫 平清水村に隠れ住給いし折柄、批河を越給ふ折節、里人多く通り逢ひけるに、川中に到り脛の白く見えし恥敷思食はずかしくおぼしめし、川中に膝を付き給ひしかは、俄に河水地中に潜り流れしといえり、・・・河水地下を潜り流れて、川下に到る福の神と申所にて、地中より湧出流るるなり、是より此河を恥川とぞ・・・福神と名地せし事、川の流れ地中を潜り流るるゆへに、伏流と言ふにや、・・・・・また馬見ケ崎川の流れも、毎年夏の頃 流の水不足なれは、小白川天神の裏通りより地中を伏流して、一里程下沖村に到る地中より水湧出て流るるなり、・・・(■補出羽国風土略記巻之拾中 1792)」

 この記述は、恥川や馬見ケ崎川が扇央部で伏流することがすでに200年前に認識されていたことと伏流する区間が推定できる。これが何に役に立つかといえば、馬見ケ崎川水利にかかわる数年前からの議論に役立つのである。馬見ケ崎川の堤外地(河原)の景観があまりにも乾いていることから『馬見ケ崎川に清流を』という市民意見が盛り上がり、しかも農業用水である五堰の水は扇頂部のダ厶(合同頭首工)で一部を残して一括して取水していることから、限られた馬見ケ崎川の水をどのように使うかという民官学あげての検討会がもたれてきた。現代の水あらそいである。扇状地河川は中央区間で伏流するのが常であるが、旧来の堰は各区間で大石止め、小石止め・・によって分け合ったのに比べて、しっかりした取水堰が約20年前に作られたこともあり、「昔はもっと水が流れていたはず・・」という市民意見も多かった。恒常流区間と間歇流区間の正確な図示は明治後期の正式測量図のみである。この文献のことは、人文学部の公開講座で国文学の先生から伺った。現在の環境保全論議に役立つのである。

 山形盆地活断層群の活動時期の満期が話題になっているが(満期の精度のあやうさについて、もうすこし丁寧な説明の機会があればよいと思う)、もし、もしかして過去数100年間に地震で土地が割れたというような数行の記録でもみつかれば、調査地点をしぼることもでき、いつのこととも知れない直下型地震のために1校あたり数億〜数10億円かかる耐震工事も手がぬけて、枕を高くして眠ることもできよう。

 人文学部にはたとえばロシア語の特許書類の翻訳の依頼が飛び込んだり、外にはみえないけれども、いろいろと地域の役にたってきたはずである。県の行財政会改革計画の委員会をまとめる先生もあれば、高速道路から県立中央病院への緊急短絡路のアイデアによって年間推定(入院費用に換算して)5,500万円の経済効果を実現させた先生もいる。街づくりや商店街の活性化に関わるグループもある。これまでは、ひそかに役に立つことがたしなみであった。大学が法人化して、従来にまして地域貢献の説明がもとめられるようになった昨近、学部の存在意味を明示することを、学部組織として取り組まなければならないと痛感しているところであります。

 ■は、占にL(おつにょう) 音読みで「ケイ」

          略  歴

          本籍    宮城県 昭和19年3月10日生(60歳)
          昭和43年 3月 東北大学大学院理学研究科修了  昭和55年11月 山形大学助教授教育学部
          昭和44年 4月 徳島大学助手教育学部      平成 8年 4月 山形大学教授人文学部
          昭和48年11月 徳島大学講師教育学部      平成13年 8月 山形大学評議員併任                   
          昭和48年12月 徳島大学助教授教育学部     平成16年 4月 山形大学人文学部長併任 

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