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山形大学  : 小田 隆治


若者へ

人生100年時代が到来したという。平均寿命が100歳になったわけではないが、我々が子供の頃、巷にはほとんどいなかった90歳以上の老人を普通に見かけるようになった。 齢を重ねると若い人たちとは時間感覚が大きく違ってきているが、我々の少し前と言ってしまう20年前くらいは、70歳くらいで亡くなる人がいると、天寿をまっとうしてよかったね、と互いに軽い挨拶を交わしていた。 今は誰が見ても70歳くらいでは若すぎるのである。

私が大学に入学した18歳の頃、井上陽水の『人生が二度あれば』が深夜のラジオから流れていた。 この歌の中の陽水の父は65歳で、今の私と同じ年齢である。歌の中の65歳の父親は老い先短い老人で、今の65歳とはまったく違ったイメージである。

現実問題として、100年生きることが幸か不幸かわからない。 我々が若い頃までは、人類の歴史は、不老不死とは言わないまでも、少しでも平均寿命が延びることを目指してきたし、0.数歳でも延びたことを無条件に喜んできた。 だが、長寿社会が実現しつつある現代の日本において単純に喜べなくなったのは、年金・経済・介護・医療の問題が国民一人一人に重くのしかかってきているからだ。 また同時に、生と死の尊厳という哲学的な問題に遭遇している。

人生100年時代の到来を、20歳前後の大学生のみなさんに言っても実感がわかないだろう。 それは無理もないことだ。私が若い頃も将来の展望はなかった。いつの時代もそうなのだろう。参考となるのは両親が歩んできた道だけであった。 学歴のなかった私の両親は、言葉には出さなかったが、私たち兄弟に学問を身に着けさせ、ブルーカラーではなく、ホワイトカラーの職業について欲しい、と願っていたはずである。 そして、ひたすらまじめに働けば人生がうまく行くことを、かれらの日々の営みが語っていた。私の大学生の頃の将来の羅針盤は、この両親の無言の教えだけであった。

父と母が生きた時代と私が生きている時代は明らかに違っている。 それでもまじめに働けばきっと人生はうまく行く、という羅針盤は私の時代にも通用した。この羅針盤に嘘はなかった。 学生のみなさんは、どのような羅針盤を両親からもらっているのだろうか。

私は18歳の時、大学進学のために広島県の実家を離れた。 以後、実家の両親と遠く離れて生活している。大学の進学先を両親は教えてくれなかった。 大学院やその後の就職にも一切干渉してこなかった。もはやかれらの経験や知識の外の世界を、私は歩いていたのだ 。両親は不安に思いながらも子供を信じるしかなかっただろうし、私は自分の道を独力で切り拓いていくしかなかった。 それは私が生きた時代の子供たちがみんな辿ってきた道であった。

現代の日本は近未来が予測不能な時代だと言われている。 たしかに、少子高齢化、人口減少、労働者の減少、財政、年金、そしてAI、ロボット、IT等々、負の遺産と科学技術の発展によってもたらされる社会構造の変革が急速に進んでいる。 だが、程度の差はあれ未来が予測可能であった時代など過去にもなかったはずだ。 ましてや、個人に降りかかってくる将来の幸不幸はなおさらのことである。

100年生きるということは、1000年に一回起きる天変地異に10%の確率で出会うことになる。 千という数字は途方もない数である。子供の頃、百まで数えたら風呂から上がっていいと父から言われて数えたが、千まで数える根気はなかった 。父は私にそんな理不尽な要求をすることはなかった。いずれにしても10%の確率は非常に高い。 100年生きるとなると、未曾有の自然災害にも出くわす覚悟が必要なのである。

これから生きていくための具体的な設計図はどこにも存在していない。 もしそんなものがあったとしても、未来がわかることが幸せなわけではない。 わからないからこそ人間らしい不安と驚き、そしてドラマがあるのだ。

未来が分からないといっても、あなたたちは人生100年時代に生きていることを想定した方がいい。 そこでは、世界のどこかで働き、人生で何度か転職をし、元気なうちは80歳を超えても働き、100歳前後までの生をまっとうすることになる。

大学は具体的な人生の設計図を教えることはない。 未来を具体的に言い当てることなんて嘘っぱちにしかすぎないからだ。 だが、親が教えてくれたことに積み重ねて、どのような変革が起ころうと生きていける基盤となることを学べることは間違いない。 学べることは社会に出てからも多い。大事なことは、すべてを学んで歩きだすのではなく、学びながら人生を歩んでいくことだ。 これが自立ということである。

あなたたちが生きる時代が戦争に巻き込まれない時代であって欲しい。 自分の幸せだけでなく、人の不幸に手を差し伸べられる人間であって欲しい。 日本や世界全体のことに思いをはせることのできる人間に成長して欲しい。 きっとできるはずである。幾多の困難を乗り越えた時、人生100年時代の到来を、我々人間は諸手を挙げて歓迎することができるのだろう。

令和元年6月1日に父が亡くなった。この文を父へ捧げる




   
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