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 八戸学院大学 健康医療学部 : 井川 昭弘

 「遅刻」の誕生

「学校」につきものの観念の一つに「遅刻」があるだろう。今日でも、初等教育から高等教育に至るまで、学生の「遅刻」は教師による《取り締まり》の対象にされているかもしれない。しかし、そもそもなぜ教育の場面で学生の皆さんの「遅刻」を禁止し、違反者にペナルティを与えるのかと考えると、近代産業社会においては厳格な時間管理をその成り立ちの条件にしているという点が挙げられるのではないかと思える。さあこれから始業だというときに、職員一同が揃わないと色々と不都合もあると考えられて来たのであろう(もちろん近年ではフレックスタイム制が普及してこの点は相対化されているようだが)。歴史家の研究を参照しても、近代日本において「遅刻」という観念が普及したのは、明治維新以降の近代産業社会の登場と共に、日の出を基準にした「不定時法」に代わり、全国一律の機械式の時計時間を施行する「定時法」が普及し、特に鉄道が開通して精密な鉄道ダイヤを組んで実行するようになった頃かららしい(橋本・栗山編『遅刻の誕生−近代日本における時間意識の形成』三元社、2001年)。
 ところで、「遅刻」という観念が登場するより古い文脈に、「西洋修道制の父」とされるヌルシアのベネディクト(AD580頃~547頃)による『ベネディクトの戒律』(古田訳、すえもりブックス)がある。現代アメリカの倫理学者A.マッキンタイア(『美徳なき時代』)によると、この『戒律』こそが、初期中世のいわゆる「暗黒時代」を超えて、古典古代の文化とキリスト教信仰を保存する役割を担うこととなったキリスト教修道制の成立基盤となったという(またその現代的意義が示唆されている)。『戒律』はベネディクトの修道院長としての経験から、「厳しすぎ、あるいは難しすぎること」(『戒律』序45)を避けるように心がけつつも、そもそも修道院を「主に仕えるための(scola)」(同)とみなすものであった。
 そして修道院では日の出を基準にした「不定時法」に基づきつつ、何事も優先さるべきでない最重要事として、深夜の暁課に始まる1日8回の祈りの時である聖務日課が行われるように定められた。しかし深夜に行われる暁課にはせ参じる修道士たちのなかにはどうも遅刻をする者がありがちだったようで、暁課で祈られる冒頭の詩編は遅刻しそうな者に配慮しつつ「」唱えるように指示されているが、にもかかわらず遅刻してくる者には、「その者は歌隊で自分の席にはつかず、修道院長そして全員環視の中にあるように、あるいは修道院長がこのような不注意な者のためにに着き、…公に償いを行うまでそこにとどまります。」と定められている。ただし衆人環視の祈?所の外に遅刻修道士を追いやると「寝床に戻って眠る」者や「雑談にふける」ことで「サタンの手に乗る恐れ」のある者がいるので、彼らをあくまで祈?所のなかにとどめねばならないとする(以上『戒律』43章より)。同様に、共同の食事の場面に関しても遅刻に関する規定が存在する(同)。
 このような遅刻の禁止と時間管理の修道生活における意義を考察するに、おそらく『戒律』によって修道士たちの生活の「リズム」を作り出すことが、主であるキリストに向けての彼らのの形成に有意義であると考えられたのではなかろうか。ちょうどアウグスティヌスの『音楽論』(第6巻)で、音楽のリズムが(神への愛と隣人愛に向けての)人の魂の形成と高揚のために有意義なものと捉えられたように。ベネディクトの『戒律』に触発されながら、今日においても、困難な課題ではあるが学生の皆さんのを養う教育について微力ながら考えてゆきたいと思う。

   
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