昨年度の週刊・授業改善エッセイ(第16回)で,東京家政大学での授業公開について紹介させていただきました。参加者(見学者)を増やす工夫として,全専任教員に自ら公開授業を選んでもらい,授業の曜日・時限,教室名をリストにして配付する方式をとったこと,その結果として参加者が飛躍的に増えたことをご報告しました。1年が経過し,平成23年度後期と平成24年度の前・後期の授業公開を終えた現在,参加者が減少に転じ,今年度後期には約3分の1まで減ったことを記さねばなりません。
授業を見学した経験のある教員の多くは,見学を通じて新たな気づきがあることを語ってくれます。授業を見られることも自分の授業を見直す契機になりえます。ですから,授業を気軽に見学できる状況を用意すれば,相互の授業見学が活発になり授業改善への動きが促進されるのではないか,というのが当初の目論見でした。他の教員が授業をしている教室に入るには心理的抵抗が伴います(「本当に入ってよいのだろうか?」)。担当者自身が公開対象授業を「公認」することで,見学者の抵抗感は下がるだろうと考えて導入した公開方式は,見学者を増やす上で一定の効果はありました。しかし,授業公開への参加状況を調べ,何人もの教員に意見を直接聞く中で,問題点も見えてきました。状況を用意するだけでは授業改善へのモチベーションがどんどん増すことはない,という至極当たり前のことです。授業公開に対する教員の姿勢は,ざっくりと以下のように分けられるようです。
@授業公開のたびに毎回のように熱心に見学する
A何度かは見学に行くが,やがて足が向かなくなる
B見に行く気が最初からまったくない
割合でいうとBが多数を占めるかもしれません。自らも授業を担当し,研究の時間も必要,もろもろの業務も抱えて忙しい教員にとって,仕方のないことなのかもしれません。私たちの大学では,無理せず,強制せず,緩やかな底辺拡大を意図して,FD活動を進めてきました。見学者の多さが目標ではありませんし,授業公開日が存在すること自体に一定の意味があると考えられます。現に,@の教員は,今のやり方を歓迎してくれています。しかし,このままの形で授業公開を続けてもBがAや@に変化することが期待できないのならば,新たな工夫も必要かもしれません。FD委員会で,つぎの一歩について検討をはじめたところです。
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