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あっとおどろく大学事務NG集
 
 

 筑波技術大学  石田  久之
 

『教えたいという気持ち』

1.大学の先生も怒るんだ
 「何様のつもりだ。出ていけ!」 40年近く前、新入生の私が最初に受講した授業で、遅刻した学生への教員の叱責である。私が最も鮮明に覚えている授業。大学の先生も怒るんだ。世捨て人のような老先生が淡々と授業を進める、そんなイメージで出席した授業は、全く違っていた。高校時代、復習が足りないと怒られ、買い食いをしたと怒られていた私は、晴れて大学生になり、もう、教員からお叱りを受けることはない、と考えていた。しかし、まだ怒られるんだと、多少ブルーになったものである。そして、三年後、卒論指導をお願いした先生は、学科の中で、もっとも厳しい先生であった。何度怒られたことか。

2.学生を注意しない教員
 先日、学生と飲んだ。「彼女いるの?」というようなつまらない話から始まり、「性格変えようと思うんですが、どうしたらいいんすか」と答えにくい質問。そして、こんな話がでてきた。「授業中、先生が注意しないから、私語が多く、うるさいんすよね。」
 詳しく聞くと、授業で学生が二つに割れてしまう。一方は、授業に参加している学生で、他方は、授業そっちのけで雑談に励む学生である。そして教員は、雑談する学生を注意もせず、放っておくので、クラスの中はうるさい。10名程度の授業であり、教室もそれに見合った程度の大きさである。そんな中で、私はうまくイメージできないのだが、そういうことが起こっているようである。なぜ、注意しないのか("注意する"、"叱る"、"怒る"の違いはここではおいておく。どれも、ほぼ同義である)。
 私は、主に一年次生を教えており、その役割の一つが、注意することだと考えている。「高校生と大学生とは、何が違うか?」と、授業に心を向けようとしない学生に問いを発する。そして、「次に行うことの準備ができていなくとも、優しく指導してもらえるのが高校生。大学生は、自分で準備をして待つ。」と、授業時間が始まってから、携帯を取り出し、メールを見ようとしている学生に、"強い"調子で、解答を与える。
 近年、新入生の中におしゃべり好きのうるさい学生が、必ず何人かいる。これらの学生に、教育の最高学府(今や、死語であるが)であり、且つ、社会への入口にある大学の学生として必要な考え方を提供するのが初年次教育であり、これが高度な専門教育への橋渡しの場として重要な役割を担っていると私は確信している。

3.スキルよりも"教えたい"という気持ち
 声は大きく、板書は綺麗な文字で、事前に資料を準備して、と学生に分かりやすい授業を提供すべく、FDの花盛りである。学生のニーズを知ろう、授業評価をしっかり利用しようなど、教育の質の保障を目指して、本学でも会議が行われている。しかし、何をするにしても、教員の"教えたい"という気持ちが第一に必要である。
 前述の注意しない教員について、気が弱いから注意ができない、授業評価に反映されるから怖いと考えている、などの見方もあろうが、そうは思わない。
 私はこう考える。教えたいと思えるまでに事前の準備をしていないのではないか。誰だって、自分が研究してきた内容を、また、苦労して調べ、まとめた内容を、学生に知ってもらいたいと思うであろう。注意の声は、そういう知識の塊を、うるさくしないで聞いて欲しい、少なくとも、聞いている学生の邪魔はしないで欲しいとの思いから自然と出る、教員としての雄叫びである。
 怒らない教員には、それがない。教えたい、知って欲しいという強い気持ちがない。だから、うるさくとも、我関せず、なのである。
 準備をしっかりし、教えたいという気持ちを高め、教室に向かう。FDの第一歩は、これを理解してもらうことだと、私は思っている。
   
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