昔からある「学生の多様性」について
本年度第1回のエッセイで、小田先生が『多様性という時代のキーワードに大学はどのように対峙するか』というタイトルでお考えを披露されています。そこでは、大学間連携による新たな授業開設の重要性が論じられており、そのためにはハード・ソフト両面の充実はもとより、何よりも魅力的な教育プログラムの構築が必要であると訴えられておられます。確かに、学生の多様性に対峙する大学の姿勢という大きな課題に対しては、それは一つの有効な方向性であると思います。しかし、授業をしていると「時代のキーワード」というような新しい視点ではなく、昔からあった、もっと身近な多様性に戸惑うことがしばしばです。つまり、今更取り立てて言うのもどうかと思いますが、同じ講義を取っている学生の間に存在する多様性というかバラツキにどう向き合うか、ということです。
まず、学力差。「同じ入学試験で入ってきた学生じゃないか、そんなに違うわけはないだろう」という声を耳にすることがあります。確かに、入学試験によって学力の最低ラインを決めることはできます。しかし、すべての学生の学力がその周辺に集中しているわけではありませんので、実際はトップとボトムの間には相当大きな開きがあります。そのような現実を前にして、多くの先生が「一体、どのレベルに合わせればよいのだろう」という悩みを抱いているのではないかと思います。
しかし、それ以上に難しいのが、価値観の多様性ではないでしょうか。つまり、同じ授業に、ある学生は熱心に取り組むが、別の学生はあまりやる気を示さない、というごくありふれた状況のことです。例えば、将来目指している進路が違えば個々の授業に対する興味も評価も異なるわけですから、学生によって各授業に対する熱意が違うのは当然と言えば当然です。でも、そんな場合、一体、どうしたら良いのでしょうか。取り敢えず興味を示さない学生は横に置いておいて、興味のある学生の興味をさらに深く引き出すように授業を進めるべきなのでしょうか。あるいは、興味のない学生にいかに興味を持たせるかを工夫しながら授業を進めるべきなのでしょうか。
多分、そこはうまくバランスを取ってやれば良い、というのが正解なのだろうと思うのですが、そのバランスの取り方が未だによく分からず、悩みを抱えたまま定年を迎えるのかな、などと思い巡らせている今日この頃です。