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 鶴岡工業高等専門学校  加田 謙一郎


間接的なFD活動を考え直しています


高等教育機関において、FD活動の重要性が説かれてから久しいです。わたくしたち高等教育機関の教員は、すでに積極的にFD活動を展開してきました。その成果は、日々の教育活動を賦活し、時代の急激な変化と要請に対応を目指すものとして、社会から大いに注目・評価されているように思います。

FD活動には終着駅は決してないですし、日々のアップデートが社会から要求され続けているのも厳しい現実としてあります。そのような現実と要求に応えるFD活動のありようの一つとして、毎年、各校・各教員によって、様々な教育改善のためのプロジェクトが立ち上げられて、教員はその活動に奔走しています。それらの取り組みは、教員の努力と創意工夫によって、大変に刺激的であり、現実的で有効な数々の報告として結実しています。

とは申しましても、教員一個人が、特別なプロジェクトに参入するような華々しいFD活動を毎年続けていくことには、おのずと限界があるかと思います。息切れがしてしまうのも事実です。しかし、教員一個人であっても、FD活動は継続されなくてはなりません。 そのようなとき、直接的では決して申せませんが、間接的な、そして極めて個人的なFD活動への努力も考えて見る必要があると思います。哲学者の唐木順三氏の「直接には役に立たないことの勉強について」(『朴の木 人生を考える』、講談社学術文庫、一九七七。)に下記の一節があります。  


直接には用立たないが、いつかは用立つもの、実は眼にみえないところで用だっているもの、いわば底力を身につけるためにはどうしたらよいか。この問に一般的に答えることはむずかしい。どうしたらよいか、という問を、忍耐して問いつづけること、問いに問うより外にないことかもしれない、答は、他からは与えられない。また与えられた答は、実は答ではないかも知れない。人生にとって重大な、また切実な問題は常にそういう性格をもつものだろう。殊に、今日のように、生活様式、思考様式がくずれている時代、即ち我々が、これこそ確かだという古典様式を喪失してしまっている時代には一層然りである。


高等教育の目標が学生一人一人の社会的な自立であるならば、唐木氏の言う「底力」をつけることを目標の一つとして捉えることは、そうそう的外れではないでしょう。学生の「底力を身につけるためにはどうしたらよいか」を、「忍耐して問いつづけること」、これは、現代においても、教員一人一人が個人として維持してゆかなくてはならない姿勢と思います。そのための縁として、同エッセイから、教員の間接的なFD活動のためのエクササイズの参考となるかと思われる箇所を引きます。長野県諏訪郡泉野小学校校長(1928年赴任)であった藤森省吾氏の提唱した、小学校の先生たちを対象とした「三種の勉強」の紹介箇所です。

朝は修養書、放課後は教科の研究、夜は根柢的な学問、そういう三種の勉強である。確かさと豊かさのための勉強ともいっておられる。確かさの勉強として哲学及び数学、豊かさのそれとして典籍及び文学が配当されている。


唐木氏の紹介する「三種の勉強」は、生き馬の目を抜く現代を生きる教員にとって、即座に首肯できる内容ではありません。しかし、大いに考えさせられるものだと思います。 何故ならば、東日本大震災後の現在、学生の目指すべき未来、そしてその未来における「確かさ」と「豊かさ」について、そしてそれを手にするための「底力」について、わたくしたち教員も考え直さなくてはならないと考えるからです。

被災地の方々の極めて倫理的な態度が、全世界で注目されたことは記憶に新しいです。災厄に耐えているその姿に、諸外国の多くの人々が驚嘆しました。被災地の方々の災厄に耐える力の源泉は、唐木氏の言う「底力」であり、社会組織上の震災への対応力や、技術上の対応力だけでは、決してなかった点を見過ごしてはならないと思います。それゆえに、わたくしたち教員の間接的なFDのためのエクササイズを考えて見る際に、戦前の小学校の先生たちの「確かさ」と「豊かさ」を求める勉強への姿勢は、時を超えて、現代に生きるわたくしたちにも無言のメッセージを送っていると言えます。

教授内容の見直しや教授法の改善等の具体的なFD活動は、今後も継続されなくてはなりません。しかし、その根底に、学生の「底力を身につけるためにはどうしたらよいか」という問いを、「忍耐して問いつづけること」を静かに努力し継続する教員個人であることが、今また、強く、わたくしたちへ求められてゆくのではないかと考えます。

以上述べて参りました考え方は、誠に古風な考え方だと、わたくし自身も思います。しかし、中室敦子氏の『「学力」の経済学』(Discover刊、2015年)を一読し、「このような視点も、FD活動において、有効な視点の一つではないか」と改めて思いました。

中室氏は教育経済学者であり、教育を経済学の理論や手法を用いて分析しています。教育経済学は、アメリカではすでに様々な実験がなされており、日本の高等教育を考える際にも、示唆に富むものであると思います。中室氏の著書の中には、下記のような刺激的な記述があります。


実際に、米国では少なくとも10州が、給与やボーナスを成果主義にすることで、教員の質を上げようと試みてきました。しかし、かなりの数の研究が行われている中で、教員の給与を上げることが、教員の質を高め、子どもたちの意欲や学力の改善につながることを示したエビデンスは決して多いとはいえません。


成果主義が定着し、お金が万能という気分が横溢しているかに見える日本の教員としては、かなり驚くべき記述であると思います。このようなデータ分析を見ますと、FD活動に必要なのは他者による評価・賞与だけでは決してなく、教員の能動的な活動・姿勢のありようこそFD活動に最も大切なことなのではないか、と考え込んでしまいます。また、「いい先生とはどんな先生なのか」という章の、中室氏のご意見は以下の通りです。

この章で私が伝えたいこと、それは遺伝や家庭の資源など、子ども自身にどうしようもないような問題を解決できるポテンシャルを持つのは、「教員」だということです。

この中室氏のメッセージは、わたくしたち教員にとって、大変に重いご意見です。このメッセージに応える具体的な回答を、わたくしは残念ながら持ち合わせてはいません。しかし、わたくしたちが、日々の教育活動・FD活動の根底に、学生の「底力を身につけるためにはどうしたらよいか」という問いを、「忍耐して問いつづけること」を常に念頭に置き続けることこそが、日々のわたくしたち教員を鼓舞し活動的にしてゆくのではないか、と信じたいと思います。

   
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