本学創立発起人の一人である広岡浅子氏がNHK連続テレビ小説「あさが来た」の主人公のモデルとなりました。あまりテレビを視聴しない今時の学生たちは、いたってクールに受けとめているようです。それとは対照的に、教職員サイドはどこか浮き足立っているような印象を受けます。私自身も広岡氏の評伝をひもとくなど、「原点回帰」病をにわかに発症した一人です。
1896(明治29)年に、本学創立者の成瀬仁蔵は、女子高等教育機関の設立を企図し『女子教育』を出版しました。広岡氏も同書に感銘を受けたと伝え聞いております。同書で成瀬は「第一に女子を人として教育すること、第二に女子を婦人として教育すること、第三に女子を国民として教育すること」という女子教育の方針を示しました。本学ではこの方針を教育理念として今でも大切にしています。広岡氏をはじめとする発起人や協力者の方々が、この方針に近代日本の新しい「あさ」の到来を予見したことは想像に難くありません。もちろん現代に生きる私たちにとって、ここにジェンダーバイアスやナショナリズムのにおいを嗅ぎ取ることは容易いはずです。しかしながら、創設者たちの意図を継承しつつこれを現代化することは、決して簡単なことではありません。現在本学では、そうした難事業に取り組んでいるところです。
この難事業を末端で担う一人として、深い闇夜の中で新しい夜明けの到来を信じて自ら夜を越えていった先人たちの心情に思いを馳せるよう駆り立てられます。光り輝く未来の到来を根本のところで信じることが難しくなった私たちを、浅岡や成瀬はどう思うのだろうか、といった具合に。おそらくかれらは、叱ることも嗤うこともなく、厳粛な面持ちで、こう諭すことでしょう。「教育を信じなさい」と。この想像上の諭しは、私たちを勇気づけてくれるはずです。たとえそれが「教育を信じたい」という自らの思いの投影であったとしても。