私が勤務している桜の聖母短期大学では、学科や専攻を問わず最終学年で「特別研究」を修めることが必須となっている。本学ではその名称は用いていないが、いわゆる卒論にあたる重厚な研究論文も提出して、実直な学びの達成感を得たうえで学生は次のステップへと羽ばたいていく。とは言え、論文提出の締め切りが迫った季節になれば、顔面蒼白にして疲労困憊といった表情の学生たちをキャンパスのそこかしこで見かけることになる。それでも論文の完成を促し、支え、励まさなければならないのは、つらいと言えばつらいところだ。
思えば私だって論文ではさんざんに苦労してきたし、今でも苦労している。私もやはり、学部の卒論を書いている時は顔面蒼白どころか能面のように生気のない顔で、ただでさえ無い知恵を必死で振り絞ろうとして学内を夢遊病者のごとく彷徨っていた。その次に書くことになったのは、大学院の入学審査のための論文。私は学部を卒業後、民間企業で数年間の勤務を経てから大学院に舞い戻ってきたのだが、学部と大学院では全く分野が異なるので、新たに論文を書き下ろして提出しなければダメだと言われたのである。終電で帰れたら幸運という、古巣だからブラックとまでは言わないが灰色ぐらいではあろう職場での日々を送るなか、一体いつどうやって論文を完成させたのか、自分でもさっぱり思い出せない。思い出せないぐらいなのだから、内容は推して知るべし。博士課程あたりになって指導教員に訊ねてみたら、「あれほどイカレた論文を出してきた奴はどんな奴なのか、試しに入れてみようということになった」のだそうな。ということは、むしろ中途半端に整った論文を出していたら大学院には入れなかったのであろうか。複雑な心境である。
というわけで、その後の修士論文も博士論文も、そしてジャーナルに投稿する論文から研究助成の報告論文に至るまで、書くたびに文字通り塗炭の苦しみに陥ってきた。論文ではないが、実は今このエッセーを書いている間も、である。そんな私が論文を指導していると、学生たちの瑞々しい思考と感性には本当に驚かされることが多い。また、あの震災を経たからなのか主体的に考え抜くことのできる資質と、他者への優しさも持ち合わせている。学生たちが卒業に向けて論文と格闘している姿を見るたび、もしも昔の私が自らの出身校ではなく桜の聖母短期大学で学んでいたら、もっと優れた論文を書いて、今とはまた違った人生を歩んでいたかもしれないとすら思う。
もっとも、本学は女子大なので、男性の私はそもそも入学できないのだが……。