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鶴岡工業高等専門学校 窪田眞治
(総合科学科)

 高等専門学校では専攻科を含めると高校生から大学生の世代が学びます。自分自身が高校の時に受けた教育を思い出す機会があったので、私的でマイナーな内容ではあるのですが、それをふり返りたいと思います。
 高校で一番多くのことを学んだのは3年時のクラス担任坂口曜子先生からでした。卒業後もずいぶん指導を賜り、また先生自身が岐路、苦境にあるときも密に連絡をとっていました。その間先生は『魔術としての文学 ? 夏目漱石論』沖積舎 1987年、『躓きとしての文学 ? 漱石「明暗」論』河出書房新社 1989年、と2冊を上梓されました。やがて私がODを経て大学の助手になり勤務に追われるようになったため、先生とは疎遠になってしまい、またその後郷里とほとんどすっぱり関係が切れてしまった私は噂にしか聞いていないのですが、先生は亡くなられたと伺っています。
 最近、高校1年時のクラス担任、生物担当の木村斉(ひとし)先生のエッセイ集『足物語』花伝社 1990年、『新足物語』花伝社 2004年を読む機会がありました。生徒から人気が高かった木村先生とは、私の場合距離があって、木村先生の自分への影響はずっと考えたことがなかったのですが、自分の授業の仕方、その端々が木村先生の授業を真似ていることに気づき、驚きました。木村先生から教わった事を今教室でそのまま復唱している時があります。木村先生は教師としてたいへん有能、優秀でしたので、及びもつかぬ事ですが、私の授業は細部の様々なところで、木村先生の模倣、亜流であるようなのです。
 サッカー部の顧問でプレーヤーでもあった木村先生からはサッカーの話を随分伺いました。ペレの映像もクラス揃ってホームルームで見ました。メンデルを教わりましたが、セルジオ・メンデスについても教わりました。著書では触れられていませんが、授業では高校で編纂した教科書を用い、例をあげるなら、フェニルケトン尿症について学んだことが記憶に残っています。神社の境内で、榎木の僧正のエノキはこれ、葉脈が特殊なんだよ、はたまた、伯耆富士、大山はもろい山で見かけよりはずっと危ない、とも教わりました。
 もちろん先生は教科内容を教育していたわけですが、当時自分が教員になるとは全く考えていなかった私が、しかし教科内容よりむしろ授業運営の細部を学んでいたというのは合点がいきません。ずいぶんいろいろ模倣していて、不思議でしようがありません。しかし、記憶していることでひとつ、実践していない木村先生の教えがあります。教室で書籍を紹介するときは実物を持参して見せなさい、と教えられたのです。本がチョークで汚れるのが嫌で、実践できていません。また、木村先生を真似しようにも出来ないことがひとつあり、私の授業になごやかな笑いは存在しません。
 木村先生はリタイアされ、今は教育評論家として、また四国のアマチュア落語家家元として、はたまた一級紙技師、自然観察指導員、サッカー評論家等々、信じがたい多彩さを発揮なさっているようです。
 坂口先生からは、テクストと格闘することを教わりました。坂口先生にはテクストへの強烈な切り込み方、逃げを許さない読みがあり、それを時に授業で容赦なく追求されるので、生徒の側には先生との相性の良し悪しがあったと思います。強く毛嫌いする生徒がいたのも当然だったでしょう。坂口先生の読みは方法論として抽出できるようなものには見えませんでしたし、坂口先生の厳しさをもってテクストを読むことを学生に求めれば、学生は高い確率で潰れてしまうことが予想され、その教え方を真似ようとしたことはありません。もちろん内容のない人間に坂口先生の真似は出来ないのですが。
 坂口先生から叩き込まれた事のひとつは、人間を管理する事の不毛でした。管理はさらに管理を生み出してしまう面があり、しかも管理を快楽として感じる人間をも生み出す場合がある、という事。そのあたりの事情の一端は『魔術としての文学』のあとがき「世界に正しく躓くこと」で触れられています。
 まったくパーソナリティの異なる、けれども同世代のふたりの先生から、多くのことを、意識して、また無意識に学んだと思います。30年以上前に自分が受けた教育の充実ぶりは客観評価するとしても驚くばかりで、対して出来損ないの自分の不作ぶりもまた目を覆いたくなります。授業評価がなかった時代の教育が、それに相応して不毛不作であった、とは全然思いません。あの時代にはその教育がまだ可能だったと思います。坂口先生は今であれば生き残れない教員かもしれません。木村先生もまた事情あって、管理職中途で退職なさったようです。私が受けたのが当時例外的な教育だったのではなかったと思うのですが。
 今は社会関係が変化し、それに応じて教員に求められるものも変化しました。巷には防犯カメラが氾濫し、私たちは相互監視社会に生きています。探り合わなくても互いのことがある程度わかっていた社会から、探ってはじめてわかる社会になりました。社会が変化すれば教育も変化するでしょう。教員は悪事を働くものと相場が決まったのかも知れません。私たちは常に訴訟の対象になる事を意識して仕事しなければなりません。自分がしている事はデータで説明出来なければなりませんし、相互監視もしなければやっていけなくなりました。これらは不可逆の事です。従来教育そのものに注げたエネルギーを、今は教育を取り巻く2次的な仕事にも注がなければなりませんが、効率は下がっても社会全体として甘受しなければならないコストなのでしょう。
 しかしそのような中で、スタート時点では抵抗感を感じる教員が多かった授業評価アンケートも、個々の教員から、アンケートを利用する、という発想が生じており、アンケートの形式を、内容を、こうして欲しい、という意見が寄せられます。心強いことです。こうして授業だけでなく、アンケート自体が改善されていくと信じます。

   
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