ささえるひと #23

出口毅

継承と改革、多様性を生かし
「学生にやさしい山形大学」へ。

2026.04.15

継承と改革、多様性を生かし「学生にやさしい山形大学」へ。

 山形大学の卒業生でもある出口毅先生が、第14代学長に就任した。玉手英利前学長とともに、地域教育文化学部の「教育学部」への改組をはじめとする大学改革を推し進めてきた出口学長。「私が学長になったのはおそらく、これまで大学改革に携わり続けてきた流れ。玉手前学長の取り組みの継承と、さらなる改革が期待されているのだと思います」と受け止める。学生時代の思い出や目指す大学像、在学生・高校生へのメッセージを伺った。

出会い、つながり、関係を築く。
個性を生かした大学づくり。

「私自身、学生時代は友人や先輩・後輩、恩師と多くの出会いに恵まれ、大学院修了後母校に戻ったことで、お世話になった方々と再びつながることができました。こうした『人とのつながり』を、未来へもつなげていきたい。学生、卒業生の皆さんが『山大で良かった』『自分は山大の卒業生』と胸を張れるような大学を目指します」と力を込める。

 最近、大学時代の先輩から“人たらし”と言われたという出口学長。
 小学生のころに児童会長、中学時代に生徒会長を務めるなど、人をまとめるリーダーシップを幼少期から発揮してきた。一方で、ひとりっ子としてマイペースに育ち「人に合わせることは元来苦手」。幼い頃、集団生活でつまずいたことが転機になった。
 人間関係を大切にしなければ、何事もうまくやっていけないことを実感。苦心しながら人との関わりに向き合うようになった経験があるからこそ「一歩踏み出せない学生、人と交われない子の気持ちはよく分かります」と打ち明ける。

山形大学教育学部と筑波大学大学院で学んだ学生時代は、心理学を専攻。多くの人の協力が不可欠な研究を通し、人間関係の大切さもあらためて学んだ。「仮説を基に実験計画を立て、失敗もしながら実証していく経験を通して『人間は複雑で面白い』ことを実感。もともと文系でしたが、統計のためのプログラムを自分で組むなど『文理融合』の学びも経験できました」と出口学長。(写真は、大学院生時代の友人とのバーベキュー)

 そんな出口学長が今後、目指す山形大学像は「学生や教職員にやさしい大学」。
 従来、国立大学には比較的似通った学生が集まる傾向があった。しかし近年、子どもの数が減る一方で大学進学率は上がり、学生の背景は多様化し続けている。
 「多様性に対してはこれまで『障害のある学生』や『留学生』など、それぞれの事情や背景に合わせて個別に対応してきました。しかしこれからは、多様な背景や個性をもつ人がいることを前提に大学をつくっていく必要があります。それは学生だけでなく、教職員も同じです。どんな人に対しても公平で公正であること、多様な人たちが互いに関わりながら大学をつくっていくこと。簡単ではありませんが、大切にしていきたい考え方です」と力を込める。
 「大学は個人の学びだけでなく、多くの人と出会い、関係を築く場所でもあります。学生の皆さんには、大学生活の中で多様性を考え、多様な人とのつながりを感じながら個性を生かし、学びやさまざまな活動に挑戦してほしい」と呼びかける。

2026年4月、「教育学部」が復活。
地域の教育のバトンを次世代に。

「大学のアーカイブで見つけた、私が共通一次(共通第一次学力試験)を受けた44年前当時のキャンパスの写真です。現在のキャンパス(写真右)と比較すると、建物や樹木が一部変わっていて40年経ったことを感じます」(出口学長)

 大学院修了後、地域の教育者を育成する立場として母校山形大学に着任。出口学長は30年にわたる教育・研究生活の中で学校教育転換の節目に幾度も立ち会い、大学改革にも携わってきた。
 学校現場で教員採用枠が極端に絞られ、志を持ちながら教員への夢を断念せざるを得ない学生たちと向き合う中で、「教育学部」から教員免許取得を卒業要件としないカリキュラムのある「地域教育文化学部」へ苦渋の改組に至ったのは2005年。「当時は形を変えてでも『学部を残す』ことしか考えていませんでした」。
 それから十余年を経て社会状況は一変し、教員不足が深刻化。地域の要請を受けて教育学部復活に向けた模索が始まった。「人口が減って統廃合により『学校』がなくなることはあっても、地域の『教育』がなくなることは将来ない。地域の教師を山形大学が育てなくてはいけない、という思いが強くなりました」。宮城教育大学などで手腕をふるってきた宮内健二前理事とも連携し、本来3年かかるところを2年で改組を断行した。
 「『教育学部』の看板を掲げることは、地域社会や教育に関わりたいと考えている高校生に対し『山形大学には教員を育てる学部があります』という明確なメッセージ。実際、地域教育文化学部時代は全国のさまざまな地域から志望者が集まっていたのに対し、教育学部になって県内出身の受験生の割合は高まりました。私の学長任期いっぱい責任を持って教育学部の最初の卒業生を見守り続け、必要に応じてさらに改善を行いながら一人でも多くの優秀な教員を社会に送り出します」。

出口学長の大学時代は、書道部に所属。「当時、小学校の先生になると書写を教えなければいけなかったこともあって書道部に入りました。大学のサークルでありながら当時は『全国教育書道展』という大きなコンクールの運営も担い、仲間たちと一緒に渉外活動など社会的な学習も経験もできました」。写真は当時の作品。

「総合大学」の課題と可能性。
壁を越え、つながる大学を実現。

地域教育文化学部や教育実践研究科の設置、教育学部への改組のみならず、「社会共創デジタル学環」や大学院の「数理情報システム専攻」の設置など、玉手前学長とともに山形大学の学部・研究科、キャンパスを超えた変革に大きくかかわってきた。

 山形県各地域にキャンパスがあり、地域に支えられ発展してきた「総合大学」である山形大学。地域の自然や文化を生かし、それぞれのキャンパスが特色のある分野で大きな成果を上げてきた強みや長所は「同時に課題、短所でもあります」と出口学長は指摘する。
 「人口減少の影響で18歳人口が減り、教員、職員の数も減っていくことが予想される中で、施設の維持や職員配置にもコストがかかる分散キャンパスは、経営効率の面で不利。研究者各々で進められてきた強みのある研究を、世代交代が進む中で組織としていかに継承していくのかという課題もあります」
 こうした状況の中で大学の体制維持、発展を実現するキーワードとなるのが「壁を超えたつながり」だという。「6学部・1学環・6研究科が連携することで新しい教育研究の可能性が広がります。文系・理系、学部・研究科を越えて協力することで、総合大学としての強みを発揮していきたい。さらに『大学』の壁も越えた連携も必要です。県内の大学はもちろん、オンラインを活用すれば県外や海外の大学とも協力できます」
 玉手前学長がこれまで進めてきた、東北地区7つの国立大学と新潟大学が連携する「東北創成国立大学アライアンス『教育の創造的連携連絡協議会』」、県内の大学、高等教育機関、産業界、自治体など協力する「やまがた社会共創プラットフォーム」といった取り組みを引き継ぎながら、新しい改革にも取り組んでいく考えだ。

最近は夫婦で滝を見に行ったり、家族でモンテディオ山形の試合観戦に足を運んだりと「休みの日はきちんと休んで以前よりは家族と過ごす時間を大切にしています」

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でぐち たけし

でぐちたけし●第14代山形大学学長。東根市出身。山形県立山形東高等学校、山形大学教育学部を経て、筑波大学大学院博士課程心理学研究科を修了。1992年に山形大学へ。「ほかの選択肢もありましたが、山形で生まれ育ち、学生時代の思い出もある。恩師や指導していただいた先生方からのお声がけもあり、母校に戻ることを決めました」。地域教育文化学部学部長、副学長、理事を歴任し、2026年4月より現職。

※内容や所属等は2026年4月当時のものです。

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