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掲載日:2026.02.05


▲「徳川家光御内書」(最上源五郎宛)
寸法:タテ218×ヨコ528mm(本紙)、料紙:楮紙、軸装
本文書は、江戸幕府第3代将軍・徳川家光が、山形藩第3代藩主・最上源五郎家信に宛てて発給した御内書(礼状)です。
端午の節句に際し、最上家より将軍家へ献上された帷子および単物などの時服に対する謝礼として発給されたもので、謝礼の詳細については酒井(さかい)備前(びぜん)守(のかみ)忠(ただ)利(とし)および青山伯耆(あおやまほうき)守(のかみ)忠(ただ)俊(とし)が申し伝える旨が記されています。
本文書はネットオークションに出品されていたもので、当館館長が宛名「最上源五郎」に注目し、学術的精査を行った結果、その希少性が明らかとなりました。今年度中に当館へ寄贈される予定です。
詳しくはこちら(リリースペーパー)をご覧ください。
背景
江戸時代には、端午・重陽・歳暮の三季に、諸大名が将軍家に時服を献上し、将軍家から礼状が発給される慣行がありました。したがって、全国的にみると、家光に限らず将軍家からの礼状は多く伝来しています。
一方、最上家は元和8年(1622)に改易され、家信で57万石の大大名としての歴史を終えました。改易後、最上家に伝来していた文書群は散逸したと考えられており、家信関係の文書は現存数が極めて少ない状況です。
本文書については、竹千代(家光の幼名)元服後の「家光」の署名が用いられていること、発給日5月2日であること(元服が元和6年[1620]9月7日のため翌年以降)、花押が藤井讓治氏の分類による「花押Ⅱ型」に該当すること、さらに同日・同内容の御内書(毛利輝元宛)との比較から、元和7年(1621)発給と結論づけられました。
今後の展望
既存研究に未収録の家光御内書であることから、将軍花押(かおう)や御内書の形式研究においても、新たな比較史料として位置づけられます。
本来、最上家に多く伝来していた文書群は家信改易以後、多く散逸したと考えられ、本文書が山形に戻ってきたことは学術的価値以上に、山形にとって意義あることといえます。今後の最上家研究の発展が期待されます。
用語解説
1.最上家信:慶長10年(1605)~寛永8年(31)11月22日。山形藩の第3代藩主。父は第2代藩主家親。仮名源五郎。改易後義俊と改名。
2.徳川家光:慶長9年(1604)7月17日~慶安4年(51)4月20日。江戸幕府3代将軍。父は2代将軍秀忠、母は浅井長政の3女江与(崇源院)。幼名竹千代。
3.時服:江戸時代、将軍家と大名らが贈答し合う季節の衣服。