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佐藤文哉 理学部理学科 2年

派遣期間:平成30年8月23日~9月5日

 <日本語教室での活動内容>
 私が滞在していた間の日本語教室は月、水、金曜日に10:00~11:30、平日に18:00~19:30の時間帯に行った。平日に毎日授業をするというのは現地の学生からの要望と聞いていたのでとても意欲的に感じた。日本語の授業の際は自分が中学生の時に使っていた教科書を使った。自分が中学校時代の時に習ったことなので、新しい教科書を購入するよりもやりやすいと感じたため採用した。講義のレベルは午前を初級者クラス、午後を上級者クラスのようにレベル分けした。初級クラスでの授業では中学1年生の始めの段階から始めた。私がラトビアに来たときにはひらがなを読み書きできる状態だったため、「こんにちは」などのあいさつの例文から講義を行った。私が日本に帰る頃には、分からない単語はあるが文の作り方は上達したと感じる部分が多々ありとても嬉しかった。上級者クラスの授業では、レベル差ができてしまうのが多少やっかいだった。そのときは申し訳ないが簡単な内容で我慢してもらった。しかし、レベル差はあるとはいえほとんどの人が文法を理解していたので授業はとてもスムーズだった。そのため、私は文法よりは日本人が使い分ける助詞“が、を、に”などを英文から訳すのではなくそれぞれのイメージを伝えるようにした。その日の講義の内容が一通り終わったら、伝言ゲームやしりとり、折り紙などの言葉遊びや伝統的な遊びを現地の人と一緒に行った。折り紙は戸惑っている人もいたが作品が完成すると喜んでいて、こちらも嬉しい気持ちになった。またしりとりでは鶯、哀れみなど、こちらが思ってもみなかった言葉が出てきてとても驚いた。

 <日本語教室外での活動内容>  
 日本語教室以外では現地の学生と一緒に旧市街を歩き、教会巡りをしてラトビアの歴史や宗教にまつわる文化などを学んだ。特に旧市街で教会巡りをしたことが印象に残った。町並みがとてもカラフルでおとぎ話に出てくるような雰囲気だった。聖ペテロ教会の展望台からの旧市街の町並みは日本の生活では決して見ることのできない景色でとても感動した。教会の中にはとても大きなパイプオルガンがあり、戦争の歴史の歴史を伝える展示品などがあった。また、休日に現地の人にリガから電車で30分のユルマラという場所の海に行ってきた。天気はあいにくの曇りであったが海はとても穏やかできれいなビーチだった。現地の学生とパーティーでレストランに行ったとき、とても酸っぱい魚があったので、現地の人たちに普段から食べているか聞くと「食べているよ!甘くておいしい!」という返事が返ってきて、味覚の違いに驚いた。我々が食べたらむせてしまう程の酸味だが現地の人からしたらそこまででもないという食文化の違いを体感できた。

 <参加目標への達成度と努力した内容>
 私はこの学生大使プログラムに参加する際に考えた目標は3つある。一つ目はラトビアの文化に触れることだ。現地の人とともに旧市街を見学したり、教会や博物館でバルトの国々の建国の歴史を学んだりできた。二つ目は外国人に対する壁をなくすことだ。普段の生活において私が外国人に会う機会はほとんどないため、生活している中でたまに見かける海外の人に対して「あ、外国人だ。」と思い、避けてしまう自分がいた。そんな自分を変えるためにも、ラトビア人や寮の人とコミュニケーションをとり、自分の中にある外国人への壁を取り除けた。

 <感想>
 ラトビア滞在の感想は初日の出来事、飲食、コミュニケーションの3つある。
 ラトビアの2週間の滞在期間で最も印象的だったのは初日だった。初めて飛行機に乗り、初めて海外に行き、初めて時差ぼけになるなど初めての連続でとても一日が長く感じられた。スーパーでは水とパンを購入したが、パンがペットボトルの水につぶされてしまった。麺類の店に行ったときは、食材の周りにハエが飛んでいて日本ならば苦情レベルであるが誰一人気にしないような雰囲気でありとても衝撃的であった。私は“これが海外だ!”と言わんばかりの洗礼を受けたような気がした。
 飲食の面で感じたことは、店で食事をするとき水は無料ではないことや水道水を直接飲むことが推奨されていないことがとても衝撃的だった。基本的には涼しい気候のラトビアではあるが暑い日もあったため、水分の摂取には苦労した。また、トイレに入る際にお金を払わなければ入れないシステムにも驚かされた。
 コミュニケーションの面では、講義をする際は英語が通じるため授業はできたが、日本語の細かいニュアンスを英語で説明できなかったことが悔しかった。また、日本語で思ったことを英語でそのまま伝えても相手には伝わらないことがあったので英語独特の使い回しやイディオムを知りたいと感じた。ラトビアで生活して感じたことは英語が使えない場面も多かったことだ。商品を買うときは指を指したり、携帯で写真を見せたりしたため自分の思いを言葉で相手に伝えられないことのもどかしさを痛感した。しかし、旧市街に買い物に行ったとき、現地の言葉は話せなかったがもう少し安く買いたいという意思を体で表現したら売値から値引きをしてもらえて、言葉がなくてもなんとか生きていけることも実感できた面白い体験だった。

 <今後への展望>
 この学生大使を通じて感じたのは自分が今まで学習してきた英語と実際に会話で使われる英語は異なることだった。寮や現地の学生との交流のなかで飛び交う英語は普段の学習に使われるCDとは異なり、独特なアクセントなど訛りが含まれるため、慣れるのに時間がかかった。慣れてきた頃には学生大使プログラムが終了してしまったので、現地の人とコミュニケーションをとることに対して多少物足りなさを感じた。しかしこれからも英語に触れる機会はたくさんあるので海外の人との交流を持てるように、常にアンテナを張って、英語でコミュニケーションできる機会を探していきたいと思った。
 最後にこの学生大使プログラムには国際交流課の方々や現地の先生方、家族、現地の学生達など、このプログラムに関わったすべての方に感謝の気持ちを伝えたい。

現地の学生と①の画像
現地の学生と①

現地の学生と②の画像
現地の学生と②

聖ペテロ教会の展望台からの画像
聖ペテロ教会の展望台から