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大崎教授の海外駐在記「延辺大学駐在記(3)」

 山形大学との国際交流に最も積極的な姿勢を見せたのは、外国語学部の日本語科でした。ハノイ農業大学に日本語クラスを設けて山形大学の学生をチューターとして派遣しているという話を大いに羨ましがり、延辺大学ともそのような交流をしようと言います。1学年400人いる日本語科の学生は、日本人と会話をする機会がほとんどなく、同世代の日本人との会話を渇望しているとの話でした。

 私は、専門分野の動物進化生態学に近い農学部や理学部の教員や学生との交流を求めましたが、なかなか会うことはできませんでした。私のオフィスは4階建ての農学部の4階に設けられましたが、8月は建物内には私と守衛しかいないのではないか、と思うほどに人の気配がありませんでした。夏休みは給料が出ないので、教員はなかなか大学には出てこないそうです。しかし、日本語科からは時々お招きがあり、私の専門の講義を日本語でしました。最初の講義の日以来、学内外で学生から丁寧な日本語で挨拶をされるようになりました。

 8月に、山形大学は延辺大学の学生10人を2週間、山形に招きました。同時にベトナムからも20人の学生を招き、蔵王山寮で日中越3カ国の合宿をしました。延辺大学での話です。従来だと日本に行った学生達は自信を持って帰ってくるそうです。「日本の学生は勉強してない」「日本では先生も英語を満足に話せなかった」しかし、今回は自信を失って帰って来たと言います。「ベトナムの学生は凄かった」「彼らは言いたいことを十分に英語で表現できていた」

 8月後半に入り、中国中央テレビの英語チャンネルは、尖閣島問題と日本批判一色に染め上りました。とは言っても、私の周囲は極めて親日的で、私は笑顔と親切に包まれた日々を送っていました。しかし、異変がありました。延辺大学のキャンパスには、木の切り株や石ころに模したスピーカーが40~50メートルごとに道に沿って置いてあり、毎夕、何かを流していましたが、ある日、突然に英語が流れました。それは口を極めて日本を批判している内容でした。夕暮れ時で、周囲には迷彩服を着た学生が沢山いました。その夜、日本料理店を訪れると、店は閑散としていました。お客が4分の1に減った、と言います。延辺大学の先生方も来なくなった。同僚間の目を気にしているらしい、という話でした。

 9月17日に山形大学の学生11人が延辺大学を2週間訪問することになっていました。延辺大学は、個々の学生に常時パートナー学生を3交代で貼り付けることにし、募集したところ、1日で応募者多数で締め切ったそうで、選ばれた33人の学生が歓迎プログラムを練って待っていました。しかし、前日の16日に延辺大学学長から「雰囲気が良くない。もっと楽しい雰囲気になってから来てください」と訪問中止の要請がやって来ました。

 私は24日に中国を離れました。出国の手続きに齟齬があり、地元の延吉空港から出国できずに、600キロ離れた瀋陽空港から出国しました。延辺大学の学長公用車が深夜の高速道を疾走して送ってくれました。

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夜の外国語学部

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