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ジョモ・ケニヤッタ農工大学滞在記7(2)

 滞在している宿で,土壌浸食の研究者をしているドレスデン工科大学のS博士と知り合った.彼と話すうちJKUAT開学の経緯が話題となった.驚いたのは,日本とケニアの関係という点では第三国出身者の彼でさえ,JKUATが,事実上,日本の国際協力により立ち上げられたと認識していたことである.日本の国際協力関係者の中で,JKUATの立ち上げは,国際協力の成功例として語り継がれている.

  JKUAT創設に関わる日本の国際協力は,1977年11月の事前調査団の派遣に始まり,2000年4月の協力修了まで足掛け23年間も続いた.現地調査時点での現キャンパスには,サイザル(麻ひもの原料)畑の廃園地が広がるだけだった.長期に渡る国際協力の中で,関係した日本人は延べ約450人,大学数では51校,投入した資金(ODA)は約200億円に達した

  事前調査の2年後,1979年にはキャンパス建設が始まった.その2年後の1981年に開校に漕ぎ着けるが,最初は短大レベルの教育を施す職業訓練校的な存在だった.その状態が8年間続いた後,1989年には他大学傘下の「カレッジ」として4年制教育が始まり,ようやく「学士」号を出せる高等教育機関になる.これを契機に,図書館,実験室,給水施設など,施設の充実が図られた.やがて,4年制「カレッジ」への移行6年目となる1994年に,他大学(ケニヤッタ大学)の傘下からも離れ,ようやく独立した「大学」JKUATがスタートするのである.現在のJKUATは,この1994年を創立の年としている.キャンパス内を歩くと,概ね白壁の建物と赤レンガ壁の建物の2種類を見ることになるが,前者が1980年前後の開校当時に建設されたもの,後者が1990年代前半の大学機能強化期に建てられたものだ.

  これら日本によるハード面の協力もさることながら,特筆すべきはソフト面の協力であった.まず,1981年の開校当時から,本格的な大学づくりに必要な教員の不足が課題だった.これへの対策として,日本の大学教員をケニアに派遣して補うと同時に,将来的な自立に向けて,優秀なケニア人を日本に招いて博士号を取得させる取り組みが継続的に続けられたのである.日本からの大学教員派遣は,農学部が岡山大学,工学部は京都大学が幹事校となり,それぞれの教員ネットワークを通じて他の多くの大学をも巻き込んで行った.しかしながら,日本側の教員派遣数には当然限りがある.そこで,実習や実験には青年海外協力隊員も駆り出された.シラバスやカリキュラムづくり,時には教材づくりまで,日本人関係者が手探りをしながら担ったのである.

日本に送ったケニア人留学生については,彼らが期待された成長を果たし,JKUATのケニア人教員数に一定の目途がつくまでに1990年代を待たねばならなかった.それはちょうど,JKUATが独立した4年生大学となる1994年に合わせたようなタイミングだった.そこに至るまでの長期に渡る日本の財政負担に対して,日本のマスコミが批判する場面もあった.しかし,このソフト面の成果により,外国におけるゼロからの大学づくり貢献には,辛抱強い「人づくり」が欠かせず,そのことこそが国際協力の実質を高めることを世に示すことになったのである.

  ソフト面ではさらに,高等教育に対する考え方も当時のケニアと日本では違っていた.当時のケニアの高等教育機関は,各種職業資格試験の受験準備教育が主要な機能とされていた.これに対し,日本人関係者たちは,ケニア人から「こんな勉強をしても資格試験に役立たない」と抵抗されながらも,あくまで日本の教育文化の移植に努めた.具体的には,数学,物理学,化学など大学レベルの研究に欠かせない基礎的素養をまず高めようとしたのである.このことは,やがて,資格試験合格率においても他大学に比してJKUATが優位に立つという形で,「急がば回れ」の真価を示すことになった.

  2000年に一段落したJKUATに関わる日本の国際協力は,2014年になって再び別の側面から始まっている.アフリカの高等教育の強化を図るため,アフリカ大陸の数大学に強化分野を割り振って展開されている「汎アフリカ大学構想」において,JKUATが担う「基礎科学・技術・イノベーション」分野の研究充実を図るプロジェクトである.この取り組みはJICA(国際協力機構)が支援窓口となっているが,関わる日本人専門家の中には2000年までのプロジェクトに携わった人もいる.JKUATキャンパス内に設けられたJICAのプロジャクト事務所では,皆,JKUAT創設に関わった多くの先人の思いを胸に,それぞれの仕事に取り組まれているように感じた.

※ 本稿中の年代等は,「アフリカに大学をつくったサムライたち」(荒木光弥 著,国際開発ジャーナル社,2014年)から引用した.

白壁の建物(JKUAT事務局棟)は開校当時からのものの画像
白壁の建物(JKUAT事務局棟)は開校当時からのもの

赤レンガ壁のJKUAT図書館は1990年代の整備の画像
赤レンガ壁のJKUAT図書館は1990年代の整備