ホーム > 国際交流・留学 > 海外拠点情報(駐在記) > ナイロビ海外拠点(ケニア) > 大崎教授の海外駐在記「ジョモ・ケニヤッタ農工大学駐在記(11)」

大崎教授の海外駐在記「ケニア駐在記(11)」

 バオバブの木を御存知でしょうか。徳利のような太い幹の頂端部から枝が四方八方に出ているユーモラスな木を。バオバブを見たくて、年初に東ケニアのインド洋沿岸に行きました。14世紀にアラブの奴隷商人が、16世紀にはポルトガル人が活躍した地域です。

 ナイロビからサバンナの中を東南東に一直線に伸びる、中国が完成した弾丸道路を4時間走ると、バオバブが現れ、さらに4時間走るとケニアの海の玄関口モンバサに着きました。旧市街は橋でつながった巨大な要塞のある島の中にあり、白い石造りの高い建物の間を、細く曲がりくねった道が通っていました。街には、黒いブイブイから目だけを出した女性や、白く長いイスラム服にコフィアという帽子を被った男性が足早に歩いているのですが、その数よりも多くの中国製のオート3輪車トゥクトゥクという、客を2~3人乗せて走るタクシーが、バタバタ、バタバタと、喧騒を立てて走り回っていました。

 モンバサから海岸線を3時間北上すると、バスコ・ダ・ガマがインドを目指して後にしたマリンディがあり、途上は、プライベート・ビーチを持つ欧州資本の超豪華リゾートホテルや別荘が連なっていました。クリスマス休暇には、EU各国の閣僚たちが静養に来ていたと、キャンプサイトで知り合った、マリンディのホテルの支配人が話していました。

 その支配人夫妻に無茶だと言われたのは、さらに北のラムに車で行くと言った時です。ラムには飛行機で行くべきだ、と言われました。彼らの予言通り、年代物のレンタカーは、片道7時間の往路でボンネットが、復路でトランクもパクパクと開き、変な音とともにエンジンオイルも漏れ始め、小さな集落の修理工場を見つけるまでは、道沿いで見かけるキリンから、ライオンの存在を連想して、立ち往生した場合の対策ばかりを考えていました。

 ラムは大陸から小舟で30分の人口2万の小島で、要塞を中心に、細い通りが縦横に走り、車はなく、ロバが行き交うイスラムの港街でした。対岸の無人の大陸には、中国が17階建てのターミナルビルを持つ巨大な貿易港を建設中でした。ここから、ケニア山を挟んでナイロビとは反対の、人口希薄な北ケニアにあるイシオロまで道を通し、イシオロを中心として、エチオピア、南スーダン、ウガンダ、という内陸国への輸送道路網を作る、という中国の壮大な東アフリカ改造計画が進行していました。完成工区もあるそうです。

 中国は、昨年末に近代的なナイロビ駅を落成し、エイズ患者や孤児の救済にも力を入れています。100年前に英国が募集した鉄道建設の労働者としてインド人がやってきて、工事の資材基地として無人の地にナイロビを建設し、ケニア独立後は、英国人に代わってその子孫5万人がケニアの経済を握っています。しかし、近い将来、道路建設にやってきた中国人の子孫が、東南アジアの華僑のように、ケニア社会を牛耳るだろうと予見されます。

 1月13日に帰国します。日本語クラスは、JKUAT構内に住む、岡山帰りの若いお母さんのジョアンさんが上級クラスを、上達著しいボニフェス君が初級クラスを担当して、継続することが決まりました。情報も日本語クラス専用のフェイス・ブックで共有するそうです。日本語チューターの宿舎もJKUATが用意し、ナイロビ空港からの送迎はジョアンさんがしてくれます。相談相手にもなってくれます。ケニアは皆さんを待っています。

サイザル麻畑のバオバブの木の画像
サイザル麻畑のバオバブの木

自動車修理工場 の画像
自動車修理工場