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大崎教授の海外駐在記「ケニア駐在記(番外)」

 サテライト・オフィスは、駐在校に日本語クラスを提供しています。さらに、山形大学の学生に日本語チューターとして来ていただいて、日本語クラスを維持しようと努めています。これは、駐在校の学生に、日本を知ってほしい、日本語を学びたい学生に、機会を与えたい、という思いが動機の一つですが、主目的はあくまでも、山形大学の学生が、グローバル化時代に適応した人材になってほしい、という思いから始めました。

 グローバル化時代に適応した人材とは、人間として誠実なだけでは勤まりません。世界には、人の好さに付け込んで、自分の利益をむさぼる人や国も存在します。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」です。国により、交渉術も異なります。うまく付き合うには、その術を理解する必要があります。しかし、勝つだけが目的ではありません。相手の強さと弱さに思いを巡らし、弱さに付け入るわけではなく、相互に最良の結果をもたらすことを考えることのできる人間が、グローバル化時代に適応した人材だと思います。

 つまり(1)自分を知り、(2)相手を知り、(3)状況に合わせて創意工夫できる適応力を持ち、(4)優れたコミュニケーション能力を持つ、必要があります。

 多くの学生は、日本語チューターとして教壇に立つ前は、大衆の中の一人であり、自分が確立した自我を持つ存在であることを、深く考えたことがないと思います。しかし、教壇に立つと、学生の注目を一身に浴びますから、自分が何者かを考えざるを得ません。その際に、異国では、自分は日本を代表しているわけですから、自分が育った日本の歴史や文化を背景にした自分と言うものを考えます。これが、(1)自分を知ることです。

 また、授業やその他の時間に異国の学生と深く接することで、同じ事象に対する、相手の考え方や行動規範の相違を知ります。これが、(2)相手を知ることになります。

 効率の良い日本語教育は、能力の均一化した学生を相手に、優れた教材を用い、計画的に段階を踏みながら、良く練られたマニュアルに従って教えることでしょう。しかし、これは、出発点を同じにし、同じ学生だけを相手にする時には有効ですが、サテライト・オフィスが企画した日本語クラスは、「誰でも、何時でも、何度でも」でした。この日本語クラスは課外授業ですから、多くの場合、正規の授業とぶつかります。したがって、いつでも出席できるし、意欲的な学生は何度でも出席できるようにしました。その結果、学生の数は変動するし、質にバラツキも出てきます。この状況の変化にどう対応したらよいか考えざるを得ません。これが、(3)状況に合わせて創意工夫できる適応力を育てます。

 授業は、日本語だけでは成り立ちません。英語を媒介にします。否応なく、異なる局面で使う表現をあらかじめ用意しておく必要があり、時制や助動詞の使い方にも神経が行き届くようになります。結果、(4)優れたコミュニケーション能力が形成されます。

 技術的に優れた教授法も大切です。しかし、語学は学ぶ当の学生が本気にならないと身につきません。学生を本気にさせるのは、日本語チューターが、学生のために創意工夫する熱意を感じ取った時です。文字で書けば大変そうに見えるかも知れませんが、要は、教えることを楽しめばよいのです。学ぶことも多いです。友達の輪が広がります。

ナイロビのモールの聖歌隊の画像
ナイロビのモールの聖歌隊

ハノイ農業大学の日本語クラスの学生 の画像
ハノイ農業大学の日本語クラスの学生