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大崎教授の海外駐在記「ジョモ・ケニヤッタ農工大学駐在記(1)」

 2014年7月28日~8月28日の日程で、ナイロビ郊外にある、ジョモ・ケニヤッタ農工大学(JKUAT:Jomo-Kenyatta University of Agriculture and Technology)に来ています。山形大学からのメイルに「山形は暑いですが、ケニアはもっと暑いのでしょうね」というものがありましたが、ナイロビは赤道直下、標高1800mの高地で、常春の地です。最も気温が下がるのが7月、8月で、明け方の気温は12~13度、日中でも21~23度です。しかし、日差しは強いので、私は半袖ですが、学生たちは厚手のセーターや防寒用のジャンパーを着ています。日本語クラスにやって来る学生は、室内で襟巻までしています。

 今回の宿舎は、土壌学のLenga教授(女性)の御自宅内にあるゲストハウスで、JKUATからJujaの街の繁華街を挟んで、徒歩15分程の高級住宅地内にあります。これまで利用した大学構内のゲストハウスは、先約のアメリカからの客員教授が住んでいるそうです。

 Lenga教授のお宅は石造りで、敷地は約700坪あり、裏庭は200坪程の果樹園兼菜園で、四囲は背丈の倍ほどの高さの分厚い生垣に囲まれています。周辺の約100軒も同じ程度の広さの敷地で、隣家はJKUATの副学長のお宅です。塀は石造りで、その外側に木を植えて生垣のようにしています。住宅地となる前は、コーヒー園が広がっていたそうです。

 以前、この辺りを散歩した時に、一体どのような人々が住んでいるのか想像したのですが、JKUATの副学長や教授が住んでいるとは思いもしませんでした。なお、JKUATには約700名の教員がいますが、教授は32名で、学長は栄誉職で普段は大学におらず、式典にのみ参加します。実質的トップは1人いる副学長で、その下に3人の副学長代理がいます。

 大家のLenga教授は、7月25日にJKUATの教授に復帰したそうで、それまでの約10年間はケニア文部省の大学教育局次長に出向していたそうです。学内で接する教職員の誰もが彼女の名を知っていて、今回、副学長か、副学長代理になるために戻ってきたのだろう、と噂していました。御自宅内の庭で接するご本人は、実に気さくな御婦人です。

 JKUAT構内には、前回と比べて日本人が増えていました。山形大学理学部OBの大竹祐二さんが率いるJICAのBright Projectには二人のJICA専門家と一人の短期派遣技術者がいました。また、同じJICAのAfrica-al-Japan Project という、汎アフリカ大学院大学の支援プロジェクトが6月30日から始まっており、二人のJICA専門家と、京大、岡山大、鳥取大から、3人の先生方が参加され、アフリカ型イノベーションの実践を目指す、アフリカ11ケ国から集まった54名の大学院生の教育に携わっていました。

 この汎アフリカ大学院大学は、日本が指導教員などのソフトの支援を請け負って、中国が校舎や学寮などのハードの支援をする傍ら、学生達を中国に招いて、DNA鑑定などの技術的訓練の場を提供しています。

 日本語クラスの強化のために、ポスターを40枚作り、学内の掲示板に貼って歩きました。その結果、学生たちから「日本語と中国語は一緒か」という問い合わせが数件ありました。今、JKUATの構内は、付属幼稚園児までもが私に「ニーハオ」と挨拶する、中国語学習ブームが起こっているそうです。

日本語クラスで、冬の装いの画像
日本語クラスで、冬の装い

Lenga教授宅の画像
Lenga教授宅