ホーム > 国際交流・留学 > 海外拠点情報(駐在記) > ナイロビ海外拠点(ケニア) > 大崎教授の海外駐在記「ジョモ・ケニヤッタ農工大学駐在記3(4)」

大崎教授の海外駐在記「ジョモ・ケニヤッタ農工大学駐在記(4)」

 今は8月24日、日曜日の午後8時37分です。朝から停電で、夕方前に一度復旧したのですが、夜の7時半頃に、再び停電になりました。停電は珍しいことではなく、週に何度もあり、ローソクは必需品です。2度目の停電後にドアを叩く音があり、出てみると、大家さんの甥で、JKUATの建設工学の学生が、中国製の石油ランプを持って立っていました。

 12年前に、西ケニアのカカメガの森に接した、電気も水道も無いブヤング村に1年間住んでいた時に、毎晩、この中国製のランプの世話になりました。ケニアは、大変に進学競争の激しい国で、村の子供たちは、この石油ランプの光の下で、毎晩、遅くまで勉強していました。その他の家族は、別棟の暗闇の中で、明るくおしゃべりをしていたものでした。

 村の住居はバンダという、土と牛糞をこねて作った壁に茅葺屋根を被せた家で、内部を1~3室に区切っていました。敷地内には、主人、第一夫人、第二夫人、第三夫人、12~13歳で割礼をして成人式を終えた長男、二男、三男、などのバンダが散らばっていました。

 現在、私が住んでいる、石造りのお屋敷の大家さんLenga教授は独身ですが、母親を失った5人の甥や姪、そして大学生の妹と同居しています。と言っても、普段は小学生とJKUATに通う甥とお手伝いさんがいるだけで、3人の姪は高校の寄宿舎で暮し、妹は大学近くのナイロビ市中に住んでいます。今は学年末休暇期間中で、全員が帰省しています。

 この週末、Lenga教授は海岸地帯のモンバサに出張中で、いつもはひっそりとした家の中が、明るい笑いに満ちていました。停電中の今も、何人かの子供たちの澄んだ歌声が流れてきます。私は、もしや、と思い、部屋を出て、外から屋敷を眺めてみました。どの部屋の窓もカーテンで閉じられていましたが、私の部屋はランプの光で明るく輝いている一方で、歌声の響く部屋も他の部屋も暗く、ローソクの光さえ見えませんでした。

 今週は、ABEイニシアティブ(African Business Education Initiative for the Youth)奨学金制度の対応で、多くの人々に会いました。アフリカ各国の有望な人材を日本の大学院修士課程に入れて、アフリカの産業の未来を担う人材を育て、人脈を作り、日本企業のアフリカでの経済活動を有利にしよう、というJICA(日本国際協力機構)のプログラムです。

 募集は4年間続き、アフリカ全54か国から計900人の学生を受け入れる計画で、今年が2年目で350人の募集です。山形大学はこのプログラムに今年から参加し、毎年、農学部が4人、工学部も4人を上限に、受け入れることになりました。

 と言っても、日本のほぼすべての国立大学や、名の知れた私立大学はこぞって受け入れを表明していますので、実際に受け入れる学生のそのものの有無以前の問題として、山形大学を希望して応募する学生がいるのかどうか、それすらわからない状態です。また、応募資格も厳しく、学部卒業後6か月以上の実務経験があり、日本企業、日本大使館、JETRO、JICA、先方政府、国別運営委員会の指定機関、等からの推薦状のある者、となっています。

 山形大学はケニアにサテライト拠点がありますので、受け入れの期待があります。そのため、ケニア駐在のJICA関係者に話を聞きに行きました。また、山形大学とJKUAT双方の農学部と工学部の窓口の先生方と、何度も連絡を取り合う一週間でした。

ローソクの光の画像
ローソクの光

中国製石油ランプの画像
中国製石油ランプ