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大崎教授の海外駐在記「ジョモ・ケニヤッタ農工大学駐在記2(3)」

 駐在記4-1で、「当地は、今までならほぼ毎日あった停電が無くなりました。」と書きましたが、やはり停電はありました。ただ、週に1度ぐらいに減っています。しかし、1月28日午後7時40分頃に始まった停電は、翌29日午後4時半頃まで、約21時間続きました。

 長い停電の始まる前日の27日の晩に、ゲストハウスに、日本語クラスの上級学生3人がやって来ました。3月16日にある、日本大使館主催の「日本語スピーチ・コンテスト」に出場したいと言うのです。そのためには、4日後の1月31日までに、3~5分のスピーチの原稿を、大会本部に提出しなければならない、と話しだしました。突然の参加希望は、パソコンで、日本語を容易に書くことができるようになった結果でした。

 誰も、まだ原稿は書いておらず、話す内容も決めていないが、原稿を書いたなら、間に合うように、チェックしてくれるか、との打診でした。現在、ケニアの学生の日本語作文の添削は、山形大学の2人の職員の方にお願いしています。しかし、残された時間は、約3日半で、2回は見なければならないだろうと考え、緊急事態として、私が見ることにしました。

 彼等3人と、もう1人の4人が、原稿を、電子メイルの添付書類で送って来たのは、停電が始まった前後の、28日の夕方から夜にかけてでした。闇の中での添削作業は、パソコンの画面が明るいので、容易でしたが、バッテリーが消耗して行くのにはまいりました。29日の朝になれば停電も解除されるだろう、の期待もむなしく、昼を過ぎても停電は終わらないので、時間切れの焦りを感じました。

 4つの原稿の中には、判じ物のような、意味不明の言葉の羅列したものがあり、バッテリーの消耗を避けるために、パソコンの電源を切って、文章の真意を考え込まざるをえないのもありました。しかし、昨年の山形のサマー・プログラムに参加した、Ruthさんの「夜の魔法の街ナイロビ」は、日本人学生でもこうは書けないだろう、という詩情溢れた傑作で、応募作品でないなら、ここに載録したいぐらいです。

 結局、29日中に2回目のチェックも終わり、間に合ったのですが、この間に、思いがけない世界で、ちょっとした騒ぎが起こっていました。

 私は、日常的には、各地の学生6人の日本語作文の添削を分担しており、電子メイルの添付書類で送って来たのに気づけば、即座にチェックして送り返しています。速い時には1時間以内に。どんなに遅くとも、予め断っていない限り、6時間以内に返しています。ただ、昨年の夏、蜂に刺されて、アナフィラキシー・ショックで病院に入院したことがありました。この時は、予告抜きに、24時間以上、原稿を返すことができませんでした。

 停電が終わった29日の夜に、家人がパソコンを開いて、届いているFace Bookを見て、声を上げました。私の身に何か悪いことが起こっているのではないか、という心配の声が、各地の学生達のFace Book上で交差しているというのです。

 緊急のケニア人の作文添削と停電が重なって、他の国の学生には、24時間以上も対応していませんでした。そのために、騒ぎが起こっていたのです。その後、3人の学生に作文を返すと、「先生、とても心配していました。」というメイルが、3人から届きました。

職員宿舎の一角にある、ゲストハウス(奥)と国際男子学生寮(手前)の二軒長屋。の画像
職員宿舎の一角にある、ゲストハウス(奥)と国際男子学生寮(手前)の二軒長屋。

このような職員宿舎が約100軒あります。の画像
このような職員宿舎が約100軒あります。