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大崎教授の海外駐在記「ラトビア大学駐在記(5)」

 9月中旬にラトビアに来た時には、街には半袖半ズボン姿を見かけましたが、今は皆、シックな襟巻と、分厚い地味なコートやダウンジャケットを着こんでいます。代わりに、木々の葉は、艶やかに一瞬の輝きを放ち、先を急ぐように散っていきました。旧市街には多くの野外レストランがあり、観光客で賑わっていましたが、それも取り壊しの最中です。

 しかし、屋内に入ると、襟巻もコートもダウンジャケットも、邪魔になるほど暖かいです。大学も寮もスチームで全館暖房してあるので、学生たちは校舎に入ると、直ぐにそれらを脱いで、ロビーにあるクロークに預け、引き換えの番号札を受け取ります。教室には鞄しか持って行きません。

 ラトビア大学では、研究室、寮、トイレに関わらず、蛇口をひねればどこでも豊かな温水が出てきます。駐在地はラトビアで6か国目ですが、どこの国でも、宿舎は浴槽には恵まれず、シャワーでした。しかも、お湯の出は悪く、ガジャマダ大学では水だけでした。しかし、ラトビア大学のゲストハウスのシャワーは、お湯が勢いよく出てきます。

 先日は、本館のセレモニーホールで行われた名誉博士号と博士学位授与式に招待されました。アカデミックガウンと帽子で正装した学長、副学長、各学部長達が雛壇に並び、対する招待席の主賓は、徒歩5分程の所にある国会議事堂の議長でした。オルガンの伴奏で合唱団が、恐らくは国歌と大学歌を歌うことから式典は始まりました。名誉博士号を授与されたのは、先祖がラトビアに所縁のある、ロシア人、アメリカ人、ドイツ人の富豪で、ラトビア大学に多大な献金をしたそうです。

 引き続き、博士学位の授与式があり、新博士達は「ドクター誰それ」と一人一人がその名にドクターを冠して呼ばれ、フロアに立つ学長の前で銀色と紫のリバーシブのマフラーを首にかけてもらい、学長から学位記の入った額を渡され、学長と記念写真を撮られていました。席に戻ると、一般席にいた縁者や知人が花束を持って待っていました。その夜は祝賀舞踏会があったのですが、正装が義務づけられていて、私は遠慮しました。

 各学部を巡って、山形大学の説明を行っているのですが、先方から声がかかってきたのが、本館にあるコンピューター学部でした。無料日本語クラスに熱心に通う先生がいて、彼から学部長に会って欲しいと依頼され、午前9時に伺ったのですが、ロビーで学部長が待っていました。コンピューター学部は4年制で、3年制の人文学部より修業年限が長かったです。学部教員は約40人で、1学年250人の学部生の授業と博士課程の院生の個人指導をもっぱら受け持ち、修士課程の院生は、所員100人いる数学コンピューター研究所に預けている、と言う話でした。山形大学工学部情報科学科との交流を願っていました。

 同じ日の午後は、生物学部でのセミナーで、学部とは関係が希薄だと聞いていた、生物学研究所の所長と言う遺伝学の研究者も聞きに来ていて、次は、生物学研究所でセミナーを、と招待されました。オフィスに戻ると、いつもの事ながら、山形大学からは勿論、ペルー、ベトナム、インドネシア、ケニアから、色々と問い合わせや依頼のメイルが来ていました。情報技術の発達で、どこにいても、日常に追われます。

本館のクローク 両側にあるの画像
本館のクローク 両側にある

博士学位授与式の画像
博士学位授与式