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大崎教授の海外駐在記「ラトビア大学駐在記3(7)」

 「自分の人生が変わった」と言う言葉は、サテライト校で日本語チューターを経験した学生から時々聞きます。しかし、それに劣らず、日本語クラスに参加した現地の学生からも聞きます。その言葉を強く言う学生が、ラトビアにもいます。

 彼はラトビア大生ではなく、6月に高校を卒業して、まだ大学に入っていません。日本留学を目論んで、日本大使館推薦国費留学生になる準備をしています。母がラトビア人、父がドイツ人の二重国籍で、今年はラトビアで日本大使館の試験を受けましたが、一枠のところを次席で涙を呑みました。来年は、枠の広いドイツで試験を受けたいと言っています。

 ラトビア大学での日本語クラスは、他の国と違って、ラトビア大生よりも、中学、高校、他大学の学生、そして社会人が多いです。その理由の一つは、クラスを開いているラトビア大学経済学部の立地条件にあります。ラトビア大学はキャンパスを持たずに、各学部が、市内の一般ビル群の中に、他学部とは離れた独自のビルを持っていて、多くは本部本館を中心に、半径5キロ圏に散らばっています。したがって、ラトビア大生が授業の合間を利用して、日本語クラスにやって来るのはなかなか難しいです。

 その代り、経済学部は交通至便の地にあり、日本語クラスに多様な市民が集まります。北隣にはオペラ座があり、バスや路面電車の停留所が集中しています。南側には鉄道の駅と長距離バスのターミナルもあります。そして、正面はリガ市旧市街の商業地区です。経済学部の玄関の敷居は、通りの歩道に突き出ていて、通行人は扉に直接に手を触れられます。

 人生が変わったという学生は、小学校の半ばまでドイツで過ごしたそうで、母と二人だけでラトビアに戻り、高校3年の昨年の夏休みまで、郊外の自宅と学校の周りだけで過ごす鍵っ子だったそうです。しかし、母親の勧めで、旧市街にある山大日本語クラスに参加するようになりました。母親は友人から日本語クラスのことを聞いたそうです。ラトビア大学はHPでクラスを紹介していますが、日本大使館から紹介された、という参加者もいます。

 昨年度の彼は、最初は教室の後ろの隅に離れて座って、授業をボンヤリと見ているだけでした。見かねて、彼の隣に座ると、1日目に平仮名を、2日目に片仮名を覚え、3日目には漢字に興味を示しました。しかし、彼は最後まで定位置から動こうとしませんでした。大学は、情報科学部か経済学部に行きたいと言っていました。

 今年、10カ月振りに会った彼は、すっかり人変わりしていました。昨年から日本語をずっと勉強していたそうで、日本語学習はとても面白く、日本の大学で言語学を学びたいと話し、いつもクラスの人の輪の中にいて、賑やかにジョークを飛ばしています。山大生とはメイルも交換しているそうです。当初の予定では、9月にドイツにいる姉の所に行き、働きながら日本留学を目指して勉強する予定でしたが、私達が10月末までラトビアに居ると知り、彼もドイツ行きを11月まで延期した、と言っていました。

 現在、毎日、朝から喫茶店で日本語の勉強をしているそうで、午後から日本語クラスにやって来て、夕方に、他の学生達と群れて旧市街地に消えていきます。ドイツでは数学の勉強も再開する、と流暢な日本語で話しています。

経済学部、5階手前が日本語クラス(左)、リガ旧市街(正面)。の画像
経済学部、5階手前が日本語クラス(左)、リガ旧市街(正面)。

経済学部正面玄関、リガ駅(正面)。の画像
経済学部正面玄関、リガ駅(正面)。