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大崎教授の海外駐在記「ペルー駐在記(8)」

 6月5日にリマのホルヘ・チャベス国際空を飛び立ち、トランジットのニューアーク・リバティー空港にいます。ペルーでは、日系の山形県人会に大変にお世話になりました。会長のノリアキ・ワガツマさんは、日本、特に、山形のために役立つことなら何でもしたいと言い、私が山形大学の所属である、という理由で、好意の限りを尽くして下さいました。

 会長は68歳の現在も、サッカーと海での遠泳を楽しんでいる、国立工業大学の元教授です。山形大学がカトリカ大学に提供している日本語クラスに、山形大学の学生をチューターとして送り込みたい、という私の計画を知ると、即座に、カトリカ大学に隣接する日系人クラブの敷地内の宿泊施設を、山形大学の学生に無料で提供するように話をつけて下さいました。何人でも何日間でも無料で泊めて下さるそうです。テニスも無料でできますよ。

 ペルー滞在の最後の日曜日に、山形県人会の父と母の日のお祝いの会に招かれました。この一年間、県人会の父親役と母親役を務めた方に感謝する会だそうで、今年は、リマ市の南に隣接するパチャカマック市郊外にある、クシナという、砂漠の中のグアバの農園レストランで開かれ、50人を超す人々が集まりました。父親役はソテロ・イガラシさんで、サン・マルコス大学医学部整形外科学の元教授でした。一緒に来ていた可愛い小学生の孫娘が、ピアノ、バイオリン、バレー、お花を習っている、と楽しげに話されていました。母親役は、エステル・ショウジさんで、カトリカ大学工学部の元教授の奥様だそうで、裏千家流のお茶の先生でした。この日は、96歳のミナエ・ナカガワさんと、94歳のシュウ・ワガツマさんも参加されていて、山形県人会の宝物です、と紹介されました。

 これらの方々が、この日の主賓でしたが、私も主賓扱いで、翌日発刊された日系社会の日刊紙、ペルー新報の一面に、私を含めた主賓の写真がデカデカと掲載されていました。ペルー新報の社主はイガラシさんという御婦人ですが、この方も山形県人会の会員で、父と母の日の集会にも参加されていました。

 ペルーでは、カトリカ大学とラモリーナ農業大学に滞在しましたが、両大学の対応に温度差を感じました。その最大の理由は、カトリカ大学には、山形県人会のグスタボ・カトウ先生がいたことです。カトウ先生は工学部の先生ですが、山形大学とカトリカ大学の交流発展を念じ、私と副学長との対談や、大学新聞への紹介、講演会、日本語クラスの宣伝など、多忙な時間を割いて、色々と協力して下さいました。

 カトリカ大学法学部は、1学年500人もの学生がいます。ペルーは訴訟国家で、弁護士の需要が多いそうです。私の帰国当日、宿舎に大家さんがやって来て、部屋の状況を査定して、敷金の返却額を決めることになっていました。大家さんは弁護士を連れてやって来ました。それに対し、宿舎を斡旋して下さった山形県人会は、ワガツマ会長以下3人の幹部がやって来て、大家さんに対応して下さいました。敷金は全額戻ってきましたが、円安の影響で、払った12万円相当のペルー・ソーレスは、円に戻すと、約8万円にしかなりませんでした。両替はレートが最も良いという、日系人クラブの両替所でしたにもかかわらずです。ホルヘ・チャベス国際空港には、山形県人会会長が車で送って下さいました。

父と母の日の山形県人会。前から4列目左から3人目がワガツマ会長。の画像
父と母の日の山形県人会。前から4列目左から3人目がワガツマ会長。

宿舎の窓から見た日系人クラブの施設の一部。左手体育館の陰にも様々な施設がある。の画像
宿舎の窓から見た日系人クラブの施設の一部。左手体育館の陰にも様々な施設がある。