国際交流担当大崎教授の海外駐在記
チェンマイ大学駐在記(2)
今年はタイ暦2558年だそうです。タイはタイ族の王国で、日本以外のアジアの国で、唯一欧米の植民地にならずに独立を保った国です。そこで、タイ王国の古い歴史を想像しましたが、意外に新しく、最古の王国スコータイ王朝は西暦1238年の成立でした。その後、2つの王朝、幾つかの地方王国が興亡し、現在のチャクリー王朝は西暦1782年の成立です。 タイ王国はインドシナ半島の中央にあり、西側から北にかけてミャンマー(旧称ビルマ)、東側に、北にラオス、南にカンボジア、両国を挟んで、さらに東にベトナムがあります。 インドシナ半島の強力な民族は、タイ族、ビルマ族(ミャンマー)、キン族(ベトナム)の3つで、総てが現在の中国領内の発祥で、漢族やモンゴル族に押されて、インドシナ半島に南下しました。それも古い昔ではなく、タイ族の南下は10世紀に入ってからです。 タイ王国の総人口は6400万です。その中で、タイ族は5000万です。他は、漢族が1000万、クメール族140万、ビルマ族100万、モン族12万、キン族2万、その他です。 南下したタイ族の別集団は、中国とタイの中間地帯東部にタイ族380万人のラオスを建国しました。中間地帯西部はミャンマーの一部で、タイ族200万人の自治州です。さらに西のインドのアッサム州にはタイ族800万人がいます。中国南部で移動を止めたタイ族もいて、7集団計2500万人が、中国内でタイ族の自治州や自治県を構成しています。 この1000年間のインドシナ半島では、様々な民族による大小様々な王国の興亡盛衰がありました。先住民族で王国を築いたのは、クメール族とモン族で、クメール族は、現在でも人口1500万の独立国カンボジアを保っています。しかし、モン族は国を失い、現在はミャンマーに800万人、タイに12万人と、それぞれの国境地帯に住んでいます。 タイ族の王国で最も版図を広げたのは、1605年当時のアユタヤ王朝で、タイのみならず、ラオスとカンボジア、中国南縁、ミャンマー東側、マレー半島の半ば、などを領有しました。 現タイ王国が植民地化を免れた要因は3つで、(1)西に英領ビルマ(ミャンマー)、東に仏領の、ベトナム、ラオス、カンボジアがあり、タイは英仏牽制の緩衝地帯だった。(2)植民地になった国は、幾つもの地域勢力に分かれ、欧米列強に付け込まれる余地があったが、タイは中央集権国家で、欧米列強との交渉窓口を一本化できた。(3)交渉上手であった。 第二次世界大戦前に、日本が国際連盟を脱退した折、タイは日本の味方で、日本の力を借りて、英仏を牽制し、独立を保ったそうです。世界大戦が勃発した折には、日本の同盟国で、日本に様々な便宜を提供したそうです。しかし、日本の戦況思わしくなくなると、政権を親日派から親米派に変え、終戦時には戦敗国であることを免れ、戦勝国になったそうです。 私がサテライトに赴任する時には、どの大学からも「客員教授として招待します」という招待状が来ます。チェンマイ大学からの招待状には、他大学とは異なる文言が書き加えてありました。「掛かる一切の費用は、山形大学と、あなた自身の負担となります。」 今年が2558年のタイ暦とは、釈迦入滅1年後を元年とした暦で、西暦1912年より導入され、ラオス、カンボジアでも採用されているそうです。一方、釈迦入滅の年を元年とする仏暦もあり、今年は仏暦2559年で、ミャンマー、スリランカが採用しているそうです。
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