授業色々・・・

人文学部 元木 幸一(芸術文化論)

 さてさて、小田さんのエッセイからもう2か月くらいたってしまいました。実は夏休みに入って、授業のことは--そしてもちろんこのHPのことも--すっかり忘れてしまっていたのです。本来なら小田さんのエッセイに続けてレスポンスカードの話を書けばいいのでしょうが、なんたって休眠状態。リアルな話がかけそうにありません。

 そこで先日やった「放送大学面接授業」と山形大学の授業の比較でもしてみましょうか。放送大学にはひじょうに多彩な学生が集まっています。年齢的には18才から80才すぎまで、職業も無職の方やら社長さんやらさまざま、学歴も大学院の方もおられますし、中卒の方もいらっしゃいます。教室の風景はほんと多色刷り。

 そんな中で、2日間5コマの講義をするのですが、これが尋常な講義ではありません。学生との双方向的な授業なんて、なんの苦労もなしに実現するのです。私は美術史の授業ですからスライドを見せながら話をするのですが、スライドを上映していると、必ず誰かが何かを言い出します。「あそこの陰に誰かいるようだ」とか、「あそこには人の顔が書いてある」とか、中世の教会の写真を見せますと「天井は鉄骨でできているのですか」とか、まあ色々です。もちろん大半はとんでもない質問なのですが、なかには、ほんのたまに--たまにですよ--とても鋭い質問もあります。こちらがタジタジとなってしまうのです。で、それは講義する側としてはとても楽しいのです。

 ようするに、とんでもない質問を、誰でも、いつでもできる雰囲気--それは私が作ったというよりも、自然にできちゃったというべきでしょう--が大事なんでしょうね。必ずしも教師が予定するように進むのが授業ではないようです。学生の興味のままに、振られながら、揺らされながら、停滞しつつ、また戻りつしながら、進む、いや進まされていく、そんな授業もあってもいいのかもしれませんね。

 ところが、それをこの山形大学でやるのは、とても難しいのです。無理矢理質問を浴びせ、学生を緊張の渦に巻き込んでしまうこともしばしばです--正直に言うと、わたしは授業中に学生としゃべるのはそれほど苦手ではありません。まあ、山形大学では上手い方だと思います。しかし、山形大学では絶対放送大学のようにはできません。そして、必ずしも放送大学のようにやらなくても良いとは思っています。その代わり、山形大学の学生は素直に知識を吸収することができますし、時には--これもほんのときどきですが--とても専門的な鋭い質問をしてきます。それは放送大学より楽しい側面です。そして、なにより同じ学生の成長する姿を4年間ずっと観察する楽しみは、とても、とても大きな楽しみです。ですから、少人数の授業では、学生諸君の成長を見るという喜びもときに味わうことができます。

 まあ、言いたいことなんてないんですが、要するに授業は色々ということ。固定的に考えないで、教師によっても、そして学生によっても、その他さまざまな要素によって、その場その場の授業があるのかな、ということ。ですから、『あっとおどろく授業改善』なんて、単なる一例に過ぎませんよ、ということ・・・です。

 次は理学部の丹野 憲昭さんお願いします。

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