学生による授業評価

理学部 丹野憲昭(生物学)

 「教養教育だよりNo.16 (03/09)」に一文を寄せて間もなくこのリレーエッセイの順番が回ってきたので、何を書くか書きあぐねている間に締め切り期日を過ぎてしまいました。以下の文で今回の責任の一端とさせていただきたいと思います。

 平成15年度前期の教養教育授業改善アンケートの集計結果が発表された。私は身の縮まる思いで自身のはかばかしくない評価を見る結果となった。自由記述欄の意見には思い当たることも多々あったが、同じ事柄に対しても当然のことではあるが、人によって違った受け止め方があったりして、高等学校でのいろいろ異なる履修の履歴を持った学生さんに対してどの辺に焦点をあてて授業をすすめるべきか、改めて難しさを感じた。いずれにしても結果は真摯に受けとめたい。

 「教養教育だよりNo.16 (03/09)」を読んだ。特に、学生さんが寄せている文章を興味深く読んだ。そこには学生の目から見た教養教育について、はっきりした傾向が見て取れる。つまり、低学年の学生には、教養教育は高等学校の授業の延長としか見えないようである。高等学校の授業から脱却して、早く自己の専門の勉強がしたいと思う学生にしてみれば当然のことなのかも知れない。一方、高学年の学生には、自己の専門以外の幅広い教養を身につけるための教養教育の重要さが理解されているのがわかる。これは教養教育を実施している教官側の意図と一致しているように見える。教養教育の評価が、学生の学年によって、または学生時代と卒業して社会人になってからでは、変わることは昔も今もあまり変わりがないように思われる。学生も含めて私の意識には、教養教育という制度(?)そのものについての思いと教養教育の中の個々の授業についての評価とがゴチャゴチャになっていて一寸(大幅に?)飛躍の感もあるが、ここに学生による授業評価の難しさの一端を感じた。勿論、だからと言って私自身の授業評価の低さを弁解するつもりはない。

 次は医学部の久保田 功さんお願いします。

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