三十年前の授業評価

医学部 久保田 功(内科学)

 昭和の時代、医学部でははじめの2年間は教養教育に専念することになっていた(現在では1年間)。私は山形大学医学部の第一期生として1年半を小白川キャンパスで過ごした(入学が変則的に秋だった)。あまりまじめに通ったとはいえないが、社会に出てから思うと、随分一般教養として役立っているものが多いのに驚く。例えば独語などは当時の知識がすべてであり、その時にやっていなかったら完全に無である。地学、哲学、植生等もそれからの知識の増加は微々たるものである。一方、統計学などは今ではなくてはならない知識であり、その基礎は教養部にある。

 当時を思い起こすと、講義の仕方は百人百様であったが(教科書の有無等)、教官の講義内容は十分満足すべきものであり、楽しく、確かに有意義な時間を過ごした。学生の多くは授業を通じ勉学へのモチベーションを得たし、少なくとも授業方法に対する不満のようなものはなかった。なにせ昔であるので、スライド供覧やプリント等の配布資料も殆どなく、主に、板書だけであったのにも拘わらず、である。現在、私は講義に液晶プロジェクターを使っている。動画を含め視覚を利用できるので学生にも理解しやすいとは思っているが、コンピュータ・プレゼンテーション自体が授業の良し悪しに本質的な影響を及ぼさないことはこのことからも明らかである(コンピュータ・プレゼンテーションを行うメリットは、講義の準備の容易さや板書が不要となる等、学生よりもむしろ教官側にある。また、よほど注意しないと学生は表面的理解にとどまる可能性がある)。もう一つ、授業の後に質問に行くようなことは殆どなかったが、教養教育を受ける意義は十分あったのは事実であるので、質問が来ないからといって、必ずしも悪い授業とはいえないと考える。

 在学生の評価も尊重されるべきであるが、大学を卒業し、社会人となった時に、ほんとによかったと判断されるような「授業」とは何かを思索する必要がある。昭和48〜49年の私どもの受けた教養部の授業は「合格」と判断する同級生が多いと思う。遅ればせながら、この場をお借りし、当時の講師の先生方(非常勤を含め)に御礼を申し上げる。

 次は医学系研究科の丸田 忠雄さんお願いします。

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