進路を決めた授業

理学部 丸山俊明(地球環境学)

 私はこの大学の生物学科に入学した。なので、卒業証書は生物学科で、同窓会も生物学科に名前が載っている。でも、卒論から地学をやったせいで、今は地球環境学科に混ざっている。そのころは、所属学科の授業を聴きながら、地学の卒論を取れるという特別な「地学コース」があった。

 沿革としては文理学部の地学講座と、理学部に新設された地球科学科(今の地球環境学科)の間にあって記録には残っていないコースである。学生募集が続いたのはたったの4年間、卒業生の総数も15人だけ。つまり、私は系統学的には生きた化石ならぬ、生きたミッシングリンクなのである。

 当時は1年半で教養部が終わるときにそのコースを選択できた。1年の時に私をそういう気持ちにさせた教養の授業があった。プレートテクトニクスを解説した地学の講義だった。板書とプリントを使った普通の講義だった。パソコンもAV教材もなかったが、知的好奇心をくすぐる何かがあった。教員の教え方も淡々としており、特にパフォーマンスが魅力なわけでもなかった。

 何となく興味がわいて、自分なりに決断して「地学コース」に入り、その教員の指導を1年半受けた。その教員は私が3年の時に他校に転勤してしまったが、思い返してみれば他大学の大学院への進学を奨めてくれたのもその教員だった。

 そんなこんなで、時が経ち、今は自分が教養の授業を教えている。条件さえ許せば、進路選択の自由度は高い方が好ましいので、万が一、私の教養の授業が転学部や転学科のきっかけになることもあり得るのかなあ、と半信半疑で期待もしている。そのせいではないにせよ、事実、毎年のように数人の1年生が地球環境学科へ転学部を願い出てくる。

 しかし、我が学科の内規は厳しく、高いハードルを越せた者はほとんどいない。厳しい内規があることも知らないで出願してくる1年生の安穏さと、出願手順の広報がHPなどで全学的に遅れている大学のスローさとを天秤に掛けても、結局は自由度を増すようにした方が、学生にも教員にも展望広く効能大なりと思う。アドバイザー制の実を上げ、初年次教育の見直しを具現化する際には進路選択の間口の広さと柔軟さとを装備したいと願う。

 そういえば、かの教員もこの春で定年を迎えられた。感謝。

 次は人文学部の立松 潔さんお願いします。

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